君のいない世界のスピード。 那須川天心vs笠原友希に世間からブーイングの嵐!「面白くない」

吉田拓郎 君のスピードで 歌詞

君のいない世界のスピード

フリーランス商社マン・小林邦宏さんが語る「なぜ僕は『ケニアのバラ』を輸入したのか?」 文:小沼理 写真:有村蓮 働くことにモヤモヤを抱える人たちに向けた特集「働きざかりの君たちへ」。 今回は「フリーランス商社マン」の小林邦宏さんのインタビューです。 世界を舞台にした働き方にあこがれを抱いている人も多いのではないでしょうか。 小林邦宏さんは、著書『なぜ僕は「ケニアのバラ」を輸入したのか?』(幻冬舎メディアコンサルティング)を「グローバルに活躍したいビジネスパーソンにエールを送る」つもりで書いたといいます。 現場に足を運ぶから見えてくること、人と人との血の通ったやりとり……小林さんのビジネス哲学を聞きました。 その後、世界を旅しながら仕事する夢を叶えるため、28歳で商社を起業。 花、水産物、オイルなどさまざまな商品の卸売りをはじめる。 南米やアフリカ、東欧、中近東など、人があまり行かない場所に自ら足を運び、まだ知られていない商材を見つけ取り引きをしている。 自身のブランド「世界の花屋」がNHK「世界はほしいモノにあふれてる」に2度登場し反響を呼んだ。 近年はNHK「あさイチ」への出演や、ラジオ局のゲストコメンテーターなどとしても活躍中。 現地の人の悩みを聞くと、それが仕事につながる ——小林さんは「フリーランス商社マン」の肩書きで、世界中を飛び回りながらグローバルにお仕事をされていますね。 日本にいるのは年間100日ほどで、それ以外は海外で過ごしています。 2020年も、1月の前半だけでイギリス、ギリシャ、ハンガリー、スロバキア、カタールなど9カ国に行きました。 2月、3月もさまざまな国に行っていますよ。 ——現在の働き方に至るまでにはどんな経緯があったのでしょうか。 東京大学を卒業して、新卒で住友商事に入社し5年間勤めたあと、28歳で起業しました。 最初に手がけたビジネスはレジ袋の販売です。 ただ、当時からレジ袋は環境に悪いと言われていたので「自分のビジネスには寿命がある」と考えていました。 今あるビジネスを続けながら、常に新しい分野も開拓しないといけないと感じていたんです。 そうして業種や地域の垣根なく、チャンスがあるところにどんどん飛び込んでいくようになりました。 僕には大企業のような資金力はないけれど、フットワーク軽く動けるのが強み。 「現場に行く」が僕のモットーなので、まずは現場へ行って、大企業がやらないような小さかったりきつかったりする仕事を見つけることで、今の働き方につながっていきました。 ——現場に行くことをモットーとしたきっかけはありますか。 最初に手がけたレジ袋のビジネスで、「製造業って生き物なんだ」と感じたことが大きいです。 レジ袋は機械で生産していますが、機械だからといって常に良いものができるわけではありません。 従業員の体調が悪くて品質管理に影響が出ることもありますし、最初はやる気に満ちていた取引先が「十分稼いだからそんなに頑張らずに働きたい」と変化してクオリティが下がることもある。 僕がよく取り引きをしているような家族経営の小さな企業ほど、こうした影響を強く受けます。 刻一刻と変わる状況を把握するために、現場に行くのが大切だと考えるようになりました。 現場に行かないと得られない情報というのもたくさんありますよね。 各国の実情をライブで知っているのは武器になるし、現地に足を運ぶと、そこで暮らす人がどんな悩みを抱えているかがよくわかります。 その悩みを解決しようとするとまたビジネスにつながることも多いので、ここ5、6年は世界をまわりながら人の悩み相談をしているような日々です。 僕は自己紹介のとき、手がけているビジネスを「レジ袋などの包装資材、プラスチック、花、魚……」といろんな業種を挙げます。 人によってはうさんくさいと感じるかもしれないのですが(笑)、現場で見つけたり、その国で暮らす人の悩みを聞いたりして生まれたビジネスという意味で、僕の中では全部つながっているんですよね。 世界はネット以上のスピードで変化している ——初の著書『なぜ僕は「ケニアのバラ」を輸入したのか』では、そんな小林さんのビジネス観やこれまでの軌跡が語られています。 花の輸入は僕が手がけている中でも代表的なビジネスです。 NHKの「世界はほしいモノにあふれてる」という番組で、僕がチーフバイヤーを務めるオンラインストア「世界の花屋」が特集され、多くの人に知っていただくことになりました。 「ケニアのバラ」との出会いは偶然でした。 他の仕事のためにたまたま訪れていた農業フェアで、会場の片隅に展示されていたバラが目に留まったんです。 原産国を見ると「ケニア」と書いてある。 バラと言ったらオランダなどヨーロッパのイメージだったので驚きました。 インターネットで調べてみて、ケニアが世界有数のバラの産地だと知りました。 これは面白そうだと思い、2週間も経たないうちにすぐケニアに飛びましたね。 ——知ってから実際に足を運ぶまでのフットワークが本当に軽いですよね。 小林さんのその行動力は何が原動力になっているのでしょうか。 知的好奇心ですね。 自分の知らない世界を知るのが本当に好きなんです。 ケニアのバラにしても、バラを栽培しているのはどんな人なんだろう、飛行機で運ぶにはどんな手順があるんだろうと、やりはじめてからは夢中でした。 僕はこれまでに110カ国ほどを訪れていますが、好奇心のために時々は知らない国を訪れるようにしています。 先日は初めてブルネイを訪れたのですが、空港を出てすぐのところに「ロイズチョコレート」とフィリピンの国民的なファストフードチェーン「ジョリビー」が並んでいました。 「ジョリビーがあるということはフィリピン人が多いんだな。 でも、どうしてロイズチョコレートがあるんだろう……?」。 そんなことを考えはじめると、楽しくて止まらなくなります(笑)。 ——空港のお店から考えはじめるのは、まさに現地に足を運ぶからこそ気付けることですね。 最近はインターネットに情報があふれているので行かなくても情報を得た気になってしまいますが、そうではないんだと気付かされます。 たしかにネット上には情報があふれていますが、古いものも多いと感じます。 世界はネット以上のスピードで動き、変化し続けていますから。 ネットが普及すればするほどみんなその情報を頼りにするので、現地に行かない人が増えますよね。 そうすると、結果的に現地の情報を持っている僕のような人の価値が高まります。 「SNSでどんな情報でも手に入る」と言う人もいますが、全然そんなことはないんです。 実現まで3年かけた「ケニアのバラ」プロジェクト ——「ケニアのバラ」に話を戻すと、理想の生産者を見つけるまでに30以上のバラ農園に足を運んだとか。 最終的には首都ナイロビから片道4時間かかるンジョロという街にあるソジャンミ農園との取り引きを決めます。 本を読みながら、小林さん自身の飽くなき探究心に驚かされました。 ヨーロッパではケニアのバラといえば、大輪かつ一つの花に複数の色が混ざった複色のバラが主流なのですが、それまでの日本では小さくて値段が安いものばかりでした。 日本に「ケニアのバラといえば、大輪で複色」という価値観を根づかせ、新たな市場を作ることが当時の僕のミッションだと感じていたので、その挑戦のパートナーになる仕入れ先は時間をかけて選びました。 日本まで48時間かかる長時間輸送に耐えられるバラを作るため、農園のスタッフとも何度もやりとりを重ねましたね。 はじめてアプローチをしてから、実際にビジネスとして形にするまでには3年かかりました。 ——農園スタッフをはじめ、人とのやりとりをとても大切にされています。 世界中の人とビジネスの場で接するときに、意識していることはありますか。 相手をリスペクトすることです。 「我慢強く接する」と言い換えることもできるかもしれません。 1を言われて10を察する能力は、日本人はとても優れていると感じます。 ただ、他の国では10伝えても1しかやってもらえないこともある。 それを学習能力ややる気が足りないとみるか、進歩だとみるかは人それぞれだと思いますが、僕は極力進歩だとみなしたい。 相手と目線の高さを合わせ、「今回はこれができたね、次はこれにチャレンジしてみよう」と伝えながら取り組むことで、良好なビジネスができるのではないかと思います。 自分の価値観を壊し、まずは飛び出してみよう ——書籍の反響などがあれば教えてください。 テレビやラジオなどに出演させていただくことも多いのですが、書籍を読んだ方からの反響が一番熱がこもっていますね。 幅広い層から、書籍の感想などのメッセージをいただくことも多いです。 この本は「世界で活躍したいと思っている人にエールを送りたい」という気持ちで執筆しました。 実際、世界を舞台に働きたい人は多いと思いますが、皆さんどんなふうに行動していいかわからず迷っているのだと思います。 そうした人に僕がよくアドバイスするのが、「とりあえず海外に出てみたら?」ということ。 無責任に感じるかもしれませんが、多くの人が考えるほど難しいことではないと思っています。 僕の経験からいっても、現地に行けば見えてくるものがたくさんあるし、海外には日本よりも、頑張っている人を見捨てないカルチャーがあると感じます。 ——社会に出てしばらく働いている世代だと、「このままでいいのかな」と思う一方で仕事に慣れてスムーズに働けるようにもなり、その狭間で悶々としている人が多いように思います。 それでも遅くないんじゃないでしょうか。 僕も起業したのは28歳の時ですし、人生は一度きりだからチャレンジしたほうがいいと思います。 起業してからは僕も日々、倒産するんじゃないかという恐怖を抱えています。 ただ、どうせ恐怖があるならチャレンジすべきだと感じています。 躊躇するなら行動した方が、自分自身納得できるからです。 世界で働きたいと考えている皆さんには「あなたが持っている価値観を壊してみてください」と伝えたいです。 もちろん、今の社会で築いた地位や生活が大切で、失いたくないと思うなら飛び込まないほうがいいでしょう。 でも、新しい世界やチャンスは既存の価値観の延長線上にはないと僕は思っています。 僕の会社のスタッフにもよく話すのですが、曲がり角の手前にいたら正面しか見えません。 でも、そこから一歩踏み出せば新しい道が見える。 勇気を出せば、それに見合った価値が得られるはずです。

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「会える/会えない」「君」と「僕」 AKBの歌詞の世界

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少し驚いた。 都内・有楽町のミニシアターに赴くと、半分近く座席が埋まっているではないか。 座席は1席ずつ空けてチケットを販売しており、実質的にはほぼ満席といっていい。 見に行った作品は「なぜ君は総理大臣になれないのか」。 一人の政治家の17年間を追ったドキュメンタリーだ。 十数年に及ぶ日本の政治状況をなかなかに奥深く、鋭い視点から描いている。 これが滅法面白い。 多くの関心を集めているのは昨年の「新聞記者」同様に、国民のなかに膨れ上がる政治や政治家不信が根っこにあるように思った。 ドキュメンタリーに定評のある本作の大島新監督は、ひょんなことから、小川を追っていくことになる。 映画は4年前の2016年から始まり、一気に2003年に移る。 03年は東大から総務省(当時は自治省)に入った小川が総務省を辞め、政治を目指した時期。 このあたりまでの展開で一際目を引くのは、彼の官僚批判だ。 大臣は一般企業でいえば名誉会長、お飾りみたいなものである。 実権を握るのは次官クラスで、それ以上の力を持つのは在籍時代に実力者だったOBたち。 昨日と今日、明日が変わることを極端に忌み嫌う。 そのような官僚の体質を端的に話す小川は実にまっとうで、正義感あふれる政治家のように見える。 その一方で、党利党略に長けた政治的な駆け引きが苦手な様子も随所に現れる。 彼は03年当時、民主党に所属した。 衆院初当選は選挙で勝ったのではなく、比例区からの当選だった。 よって、党内では発言権が弱い。 このことが以降も彼の政治活動を決定的なものにしていく。 民主党が政権をとり、再び野党に転落する無様な姿を批判、さらに親分・がの希望の党になびいていく過程で、悩みに悩んで希望の党からの出馬を余儀なくされる。 その選挙でも僅差で対立候補に敗れ、またも比例区からの復活という屈辱を舐めた。 ラスト近くには会派の一員として、国会の質疑で果敢にを責める姿が映る。 少し長めに中身に触れたのは、「なぜ君は総理大臣になれないのか」ではなく、「なぜ日本人は政治を忘れてしまうのか」と、改めて問う意味があると思うからだ。 民主党政権時代、民進党の分裂、希望の党の無様な選挙戦。 そんなに昔の話ではないのに、かなり以前の政治劇のように見えて仕方がなかった。 筆者に限った話ではないだろう。 政治の進行スピードは速く、それが政治のダイナミックな面でありつつも恐ろしいところなのだと今さらのように感じ入る。 本作の見どころの一つだ。 駆け引き知らずの正義漢 本当に「政治家に向いていない」のか とはいえ、映画を見終わって一番響いてきたのは全く別のことだった。 一人の政治家人生を追っていくなかで浮き彫りになる人間のどうしようもない脱力感、無力感であった。 「なぜ君は総理大臣になれないのか」への答えは明白だ。 魑魅魍魎、複雑怪奇な政治の世界で、小川淳也のような駆け引き知らずの正義漢は荒波に飲み込まれ、手も足も出なくなってしまう。 彼が倒したいといった小池百合子が会得しているような骨がらみ、政局主導の政治体質など、彼が持ちようもない。 誰にでもわかる。 そんなことは百も承知の大島監督は小川にカメラを向けていくにつれ、タイトルへの答えを描こうとは思わなくなったのではないか。 監督が、「政治家に向いていない」(この言葉は作品内に何度も出てくる)小川淳也なる男をいつしか愛おしく感じるようにも見えてきた。 まっとうさと正義感を併せ持ちながら、なかなか大義を果たせない人間はこの世の中にゴマンといる。 だが、複雑怪奇な世界だからこそ、まっとうさ、正義感は排除されてはならない。 さきに脱力感、無力感と書いたが、本当は違うのだ。 小川淳也の政治姿勢を脱力感、無力感に落とし込めてはならない。 その先にある微かな希望こそ、大島監督は映画にしたかったのではないだろうか。 本作に政治不信、政治家不信への苛烈な憤りを期待した観客は、少し肩透かしを食らうかもしれない。 だが、そうではないのだ。 観客は、小川淳也の内面に蠢く未完の政治ドグマを自身の怒りに転換すべきではないのか。 映画はそれを強く訴えかけているような気がしてならない。

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吉田拓郎 君のスピードで 歌詞

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スピードガン表示と、打者の体感速度は違う-。 全国高校野球選手権大会100周年企画、「未来へ」の第6回は、球児たちのスピードの変遷に迫る。 花巻東(岩手)大谷翔平投手(20=現日本ハム)が160キロを出すなど、高校生も150キロ台を連発する時代に突入。 その中で、スピードガン誕生前の作新学院(栃木)江川卓(59)こそ最速という声は根強い。 プロでは最速151キロといわれるが、高校時代はもっと速かったのか。 怪物が語る、スピードとは。 (敬称略)【前編】 73年5月、関東大会の銚子商戦で力投する作新学院の江川卓 毎年甲子園の季節が来るたびに、超高校級投手が現れるたびに、都市伝説のように語られることがある。 江川卓が、高校生史上最速だった- 全国デビューとなった3年春のセンバツ。 1回戦の優勝候補の北陽(大阪)戦で、江川のボールが初めてバットに当たったのは5番打者への23球目だった。 かすってファウルになっただけで、超満員の甲子園がどよめいた。 圧倒的な力で、19奪三振完封。 打てないどころか、バットに当たらない怪物。 ノーヒットノーランは3年間で公式戦計9試合(完全試合2試合含む)。 こんな高校生は、後にも先にも現れていない。 スピードガンがなかった当時、一体何キロ出ていたのか。 「『分からない』というのが正直なところです。 高校野球の江川卓は、高めのボールで三振を取っていたので、バッターの目には浮いてくるように見えた、ということは言えるんですが、何キロかって聞かれると、『分からないです。 きっと速かったとは思います』という答えになりますね」 そう言って、理論派の江川らしく、スピードガンの説明を始めた。 各球場ともネット裏の、グラウンドレベルより高い位置に設置されているのが一般的だ。 「スピードガンは上から見ていますよね。 (ボールに対して)対角線の角度がきつい方が、スピードは出るんです。 みなさん誤解されているのは、高めのボールの方が速いって言ってますが、低めの方が絶対にスピードガンは出るんです。 ワンバウンドが一番速いんです。 絶対に。 理論上は」 ではなぜ、江川の高めのボールを、打者は空振りしたのか。 「ところが人間の感覚は面白いもので、バッターは、顔の近くの方が体感は速いですからね。 低めは、目から遠い分、体感は速くないから振らない。 バッターが胸の辺りを空振りするのを『速い』と表現するので、スピードガンが出るのは、一般的には速くても、僕らは速いとは思わない。 我々が言う『速い』と、スピードガンが出ることは、すごく違うことなんです。 それが僕の結論なんです」 だから、バットに当たらなかった高めのボールは「スピードガンは出てなかったと思う」と言う。 体感速度は、スピード表示だけでは測れない。 「(ソフトバンク)松坂投手が甲子園の決勝で投げている頃を見ましたけど、高めのボールは速いなって思いました。 大谷君は(160キロを)予選で出しましたからね、見てません。 彼は、指に掛かるボールと掛からないボールが、すごくばらつきがあるんですね。 大谷君のスピードが出たときも、高めじゃなくて、低めのボールです。 そっちの方が絶対に出ますから」 近年は150キロを超える高校球児が多く現れているが、「だけど、空振りはしないでしょ。 それは、多分スピンというか、いい回転をしてないんです」と言う。 江川自身は、ボールが浮き上がる、ホップする感覚を強く自覚していた。 「浮き上がるボール」の原風景は、小学生時代を過ごした静岡・浜松市の天竜川にあった。 江川少年は、川幅約100メートルの対岸に向かって、毎日石を投げた。 「『石を風に乗せること』を自然にやったんです。 本当に毎日。 最初は小学校2~3年の時は川の半分しか行かないんですけど、5年生で初めて向こう岸に届いたんですね。 それは風に乗せないと、行かないんです、絶対に。 石を風に乗せる方法が、高校野球で生かされたんですね。 漫画みたいな話なんですけど」 一般的に、ボールの切れとは、投手が投げたボールの回転数に関係すると言われる。 江川は石を投げながら、指先でスピンをかける感覚を養った。 「(投球時に)キャッチャーまで十何回転かするんですけど、僕の場合は4か5ぐらい多いんですよ、回転が。 だから多分空気抵抗がすごく多くなるので、沈まないで、浮いていく感じになるんだと思います」 自然の中で培った感覚が、直球の礎になった。 野球人生で一番速いと自覚している時期もまた独特だ。 「プロ野球は、1年間通してやらないといけない。 全力ですけど、打者の特徴とかで、コースを狙うやり方です。 だから速さで言えば、甲子園に何とか出ようと思って一生懸命投げていた、高校1年の秋から2年生の夏ぐらいまでが、一番速いんじゃないかと思います」。 それでも節目ではいくつかのデータが残っている。 法大4年の77年春、あるスカウトは、「140キロ台」と話した。 当時、プロ最速は山口高志(阪急)の145キロといわれており、プロのトップクラスに劣らぬ数字だったという。 プロ1軍デビューの79年6月2日阪神戦では、最速144キロ(打者竹之内)。 3年目の81年は自己最多の20勝を挙げ、勝利、防御率、勝率、奪三振、完封の投手5冠でリーグMVPと絶頂期だったが、この年は最速151キロだった。 8連続奪三振をマークした84年球宴では、最速147キロ(打者クルーズ)。 当時は警戒してバントが始まってしまう。 本当はすごくでっかくて、びっくりしたんですけど。 長距離やダッシュ100本とか、水も飲めないですし。 僕は嫌いなんですよ。 やっているところ見せるの。 照れ屋なんで。 遠投が多かったです。 バッターはホームラン。 ピッチャーは空振りが取れる、バットに当たらない恐怖感を与えられる。 野球の絶対的な魅力を、これからの高校生が目指していけたらいいと思います」• photo• 野球 巨人坂本勇人27打席ぶり安打 井納の直球を中前へ []• プロ野球 [7月17日 18:37]• プロ野球 [7月17日 18:37]• 高校野球夏の地方大会 [7月17日 18:35]• プロ野球 [7月17日 18:33]• プロ野球 [7月17日 18:30]• 高校野球夏の地方大会 [7月17日 18:04]• プロ野球 [7月17日 17:50]• プロ野球 [7月17日 17:42]• プロ野球 [7月17日 17:31]• プロ野球 [7月17日 17:22]• プロ野球 巨人坂本勇人27打席ぶり安打 井納の直球を中前へ []• プロ野球 [7月17日 18:43]• プロ野球 [7月17日 18:37]• プロ野球 [7月17日 18:37]• プロ野球 [7月17日 18:30]• プロ野球 [7月17日 17:50]• プロ野球 [7月17日 17:42]• プロ野球 [7月17日 17:31]• プロ野球 [7月17日 17:22]• プロ野球 [7月17日 17:10]• プロ野球 [7月17日 16:58]• 高校野球 大事なのは「人間部分」聖光学院監督は3年底力期待 []• 高校野球夏の地方大会 [7月17日 18:35]• 高校野球夏の地方大会 [7月17日 18:04]• 高校野球夏の地方大会 [7月17日 17:11]• 高校野球夏の地方大会 [7月17日 11:37]• 高校野球夏の地方大会 [7月17日 8:03]• 高校野球夏の地方大会 [7月17日 8:03]• 高校野球夏の地方大会 [7月16日 23:33]• 高校野球夏の地方大会 [7月16日 23:15]• 高校野球夏の地方大会 [7月16日 23:15]• 高校野球夏の地方大会 [7月16日 23:15]• 大学・社会人 大商大・吉川を9球団が視察「短いイニングなら」 []• アマ野球 [7月16日 19:55]• アマ野球 [7月15日 21:38]• アマ野球 [7月13日 19:55]• アマ野球 [7月13日 19:55]• アマ野球 [7月13日 17:51]• アマ野球 [7月13日 13:43]• アマ野球 [7月10日 17:48]• アマ野球 [7月10日 17:16]• アマ野球 [7月5日 18:29]• アマ野球 [7月2日 17:12]•

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