エログロ ナンセンス 車椅子。 【ことばをめぐる】(980904)エログロ,サイノロ,淡谷のり子

「俺が嫌いだ」を「社会の為に、こんなものは存在してはいけない」と混同してはいけない: 不倒城

エログロ ナンセンス 車椅子

「ああ…大阪、怖い」 その名もエログロナンセンス。 口の周りの筋肉が動かない顔面肩甲上腕型筋ジストロフィーという難病を持つグロ(左)とナツ(右)のコンビが東京から初参戦! セクシーな衣装も用意済みとのこと、お姉様たちの実力やいかに!? —— 今回のSHOW-1に出場するキッカケを教えてください。 ナツ「私は出たかったんですけど、誘ったらグロちゃんも乗り気で」 グロ「乗り気じゃなかったんですけど、勘違いされて。 でも、こういうことをやればおもしろいかも、というアイデアはあったんです。 でも素人なのでウケるかどうか、不安です」 —— 今回のネタのポイントは? ナツ「エログロは昭和初期の低俗な文化、くだらないことを2人で一生懸命やる、と」 グロ「まぁ、いいんじゃない?って思ったんですけど。 まさかテレビでエログロナンセンスをやることになるとは…。 私はそんな下品な女ではございません!」 —— 自身の障害をネタにすることをどう考えてます? ナツ「顔面肩甲上腕型筋ジストロフィーをみんなに知らせたいという思いはありますね」 グロ「もう死ぬの?って言われたりね(笑)。 みんないつか死ぬよ、って(笑)」 ナツ「いまのうちに旅行に行った方がいいよ、とか言ってくれるひともいるんですけど。 そういう勘違いをしてるひとも多いと思うので」 —— 意気込みをお願いします! ナツ「あたたかいお客さんだといいなぁ。 こんなチャンスはめったにないので楽しもう!って言ってたんですけど…もう不安で、なにをしててもSHOW-1が頭から離れなくて…」 グロ「大阪の友人に、大阪でお笑いのステージに立つことは大阪人にとって憧れやで!と言われ…。 ああ…大阪、怖い。 楽しめたら嬉しいですけどね…」.

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エログロナンセンスとは

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私には「探偵趣味」という意味がハッキリとわからない。 同時に「猟奇趣味」という言葉も甚だアイマイなように感じている。 しかもその癖に、そんな趣味の小説や絵画はナカナカ好きな方で、つまらないと思う作品にまでもツイ引きつけられて行く。 自分でも 可笑 ( おか )しいと思っているが仕方がない。 イッタイどうしてこんなに矛盾した心理現象が起るのだろう。 そうした趣味の定義や範囲は、雲を掴むように漠然としているように、そうした趣味から受ける興味はどこまでも深刻痛切を極めている。 それ等の作品の一つ一つの焦点は実にハッキリしている。 脳味噌の中心にヒリヒリと焦げ付く位である。 それでいて、あとから考えるとその興味の焦点と、自分の心理の結ばり 工合 ( ぐあい )がサッパリわからない。 探偵趣味で惹き付けられたのか、猟奇趣味で読まされたのか、わからない場合が非常に多い。 子供の時に、自分の家へ郵便が投げ込まれるのを遠くから見て飛んで帰った事がある。 別に手紙が見たいわけではなかったけど、どこから来た手紙か知りたかったからである。 町中の家々に来る手紙をみんな知っている郵便屋さんが羨ましくて仕様がなかったものである。 あんなのが探偵趣味というものであろうか。 あんなのが猟奇趣味というのであろうか。 もしそんなものならばコンな趣味は取りも直さず人間の本能から出たものでなければならぬ。 そうしてこれ等の趣味の定義や範囲は学者たちの客観的な研究によって決定さるべきもので、それに 囚 ( とら )われている私たちが空に考えたとてわかる筈のものでない。 しかし、又、万一それがそうでなかったらどうであろう。 問題は実にタヨリナイものに化する。 しかも、形容詞ばかりで、内容も焦点も、定義も、範囲も、依然としてハッキリしていないのだから人を馬鹿にしているでしょう。 実際こうした趣味は天地 開闢 ( かいびゃく )以来ある趣味なのでしょうか。 それとも飛行機と 一所 ( いっしょ )に生まれた趣味なのでしょうか。 考えているうちに頭がわるくなった。 けれどもそんな趣味を 流行 ( はや )らせている人々は本当にこんな趣味を理解しながら書いたり読んだりして居られるのでしょうか。

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「誰に話しているか?」 何とも難しい質問ですね。 コミュニケーションの基本は「相手」がいることですが、大きく分けて「通信」と「発信」に分かれると言われています。 「通信」は、特定の相手とのコミュニケーションで、内容に個人情報や機密事項も多く含まれます。 手段としては、直接の面談・電話・手紙・メールやLINEなどが含まれると考えられます。 また、特に無線による通信は「交信」とも言います。 一方「発信」は、不特定多数の人に向けたコミュニケーションで、当然ながら個人情報や機密事項はほとんど含まれません。 手段としては、放送・出版・演説などに加え、最近はこのような掲示板やFacebook、Twitter、インスタなども含まれます。 そのなかで、私は誰と話しているのか?そして「通信」か「発信」のどちらをしたいのか?考えれば考えるほど、わからなくなります。 ただ、43年前の強奪・監禁ゲームのことを知ってるのは今は亡き近藤元受刑者や当時の理事のしかいませんから、私はその人々に話しているのかもしれません。 フランダースの犬の再放送を職員室で見ていたA先生とB先生の会話です。 A「この犬とガキ、やっと死んでせいせいしたよ」 B「ちょっとA先生、あんたなんてこと言ってんだ!」 A「なんだと?」 B「こんな簡単に死んだら面白くもなんともない。 もっと生きていじめられ、ネロの人格が崩壊し、パトラッシュを殺して食べる話にしなきゃ!」 A「あ〜あ、くだらない。 犬なんて食べても美味くもなんともないし、それなら通りすがりのパリジェンヌをパトラッシュが噛み殺し、ネロが屍姦したあとパトラッシュと鍋にしてお腹いっぱい食べた、と言う話にしないと。 そしてネロは処刑、パトラッシュは殺処分でめでたしめでたし!」 すみません!この学園の卒業生で、あなたたちの恩師を治療できる優秀なお医者様はいらっしゃいませんか? 1999年8月、神奈川県の産業廃棄物処理業者の社員・家族の旅行を兼ねたキャンプで、川の増水で18人が流され、赤ちゃんを含む13人が犠牲になった事故があった。 事前の退去勧告にも従わず、救出された人も正式な謝罪を行わず、それどころか救助活動している警察・消防・自衛隊などに「遅い」と悪態ついたため、今も批判されることが多い。 いわゆる、玄倉川事故である。 ただ、赤ちゃんを抱いた若い母親も流された映像は衝撃的で、伝えながら声を詰まらせるアナウンサーもいた。 昼前だったため、生中継した番組もあった。 しかし、流される映像を職員室のテレビで見ていたここの教師や職員は「よっしゃー!」「やっと流された!!」と、ガッツボーズや拍手、中にはハイタッチまでする人もいた。 この学校では、1991年の湾岸戦争でも授業で「おい、今戦争始まったぞ!!」と大喜びで言ったり、2001年の9・11の翌日に「あんな面白いもん、人生で何度見られるかわからんよな」と言った教員や職員もいた。 玄倉の映像は「ドキュンの川流れ」というタイトルで動画サイトでも見れるが、この学校を見ていたら、本当の「ドキュン」は誰なのか、考えさせられる限りである。 「なんだか授業したくないから」という理由で、ある教員が視聴覚室でビデオを見せていたことがあった。 その内容が、たまたま自閉症で暴れる人とその家族のドキュメントのものだった。 自傷他害があり、家の壁も全部剥がされ、割れ物や貴重品はカギのかかる部屋に入れて暮らしているご家族の記録映像だった。 ビデオが終わり、その教員が大あくびしながら「今後の医学には、こういうカタワを見付けたり、見付けて生まれないようにすることが求められている。 だって今のビデオの通り、無駄に生かせても、誰にも特にならないだろ?」と言っていた。 あと「こんなカタワに限りどこかで孕んだり、孕ませたりして、更にその子もカタワで難儀するんだよな」とも言っていた。 確かに、障害ある人との暮らしは生半可ではなく、望まない妊娠による問題も起きているのは事実だろう。 「知的障害ある女が駅のトイレで出産後コインロッカーに放置」などの事件も時々目にすることがある。 しかし、この発言はあまりに酷いのではないだろうか? もう一か月足らずで神奈川県の「やまゆり園殺人事件」から4年になるし、それ以外にも「障害ある子を親が殺した」という事件も各地で起きている。 「カタワ」発言のこの教師は、これらの事件をどう見ているのだろうか?「植松聖はスーパーヒーロー」などと思っていそうで恐ろしい。

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