薬師丸ひろ子。 薬師丸ひろ子の結婚した旦那は玉置浩二!元夫との離婚理由がヤバ過ぎる!

薬師丸ひろ子、事実婚夫と地方移住 両親は近所の別荘暮らし|NEWSポストセブン

薬師丸ひろ子

中学1年生の時に、 角川映画第3弾『野性の照明』の長井頼子役にオーディションで選ばれ1978年にデビューしました。 1980年に映画『翔んだカップル』で初主演を務めると、1981年『セーラー服と機関銃』に主演、薬師丸ひろ子さんの代表作ともいえるヒットとなり、この作品の主題歌『セーラー服と機関銃』で歌手デビューも果たしています。 その後も主演映画『探偵物語』、『里見八犬伝』、『メイン・テーマ』、『Wの悲劇』などの作品と担当した主題歌が話題を集めました。 1984年には『Wの悲劇』での演技が評価され、第27回ブルーリボン賞女優賞を受賞しています。 1985年には、それまで所属していた角川春樹事務所から独立し、女優活動だけではなく歌手としてもコンサートを開くなど精力的に活動を始めました。 1991年に安全地帯のメンバーである玉置浩二との結婚を発表し一時芸能活動を控えていましたが、1998年に離婚を発表し、再び女優活動を行うようになりました。 2014年には第65回紅白歌合戦に歌手として出場しており、昔ほどではないものの今も女優だけではなく歌手としても活動しています。 薬師丸ひろ子の高校や大学 続いて、薬師丸ひろ子さんの通っていた学校について調べました。 薬師丸ひろ子さんの出身高校は、 東京都立八潮高等学校です。 中学生から芸能活動を行っていた薬師丸ひろ子さんですが、高校は芸能コースなどがある学校ではなく普通科の学校に進学しました。 中学生の時に映画で共演した高倉健さんから「チャラチャラするな」といわれていたことや、高校の恩師から「学校を休むな」といわれていたことから普通の高校生活を送るようにしていたそうですよ。 合唱部に所属していたものの、足が速かったことから毎年リレーの選手にもなっていたそうです。 高校を卒業した薬師丸ひろ子さんは、 玉川大学に進学しました。 大学進学も高倉健さんが「大学に行った方がいい」というアドバイスで決めたそうです。 薬師丸ひろ子さんは文学部英米文学科に入り、芸能活動をしながらも留年することなく卒業しました。 薬師丸ひろ子の両親 薬師丸ひろ子さんの両親について調べてみましたが、一般人のため情報はありませんでした。 1991年に結婚した薬師丸ひろ子さんは、都内の高級住宅地に家を建て両親も住まわせていたそうです。 薬師丸ひろ子さんの離婚後も両親とは共に暮らし、新しくできた恋人も一緒に住むようになりました。 しかし、薬師丸ひろ子さんの恋人が住み始めるようになってから両親は栃木県にある別荘で暮らすようになりました。 それは薬師丸ひろ子さんと恋人のことを考えてのことだったそうで、娘である薬師丸ひろ子さんが今度こそは幸せになってほしいと願っているそうです。 薬師丸ひろ子さんは、そんな両親のもとに仕事の合間を縫っては別荘に足を運んでいるそうで、別々に暮らしてはいるものの家族仲はとても良好のようですね。 薬師丸ひろ子の自宅は世田谷? 薬師丸ひろ子さんの自宅は世田谷区という情報がありました。 世田谷区というと東京の中でも高級住宅地として知られており、多くの芸能人が住んでいることから薬師丸ひろ子さんの自宅があってもおかしくはありません。 ただ、薬師丸ひろ子さんは自分から世田谷区に住んでいると明かしたわけではないため、世田谷以外の高級住宅地に住んでいる可能性もあります。 現在の住まいは不明ですが、ベテラン女優としてかなり稼いでるはずなので、自宅は豪華だと思います。 まとめ 薬師丸ひろ子さんは学生時代にデビューしたものの、高校や大学は学業を優先し、卒業されていました。 学力を武器にして活動している女優ではありませんが、普通の学生生活を送ったからこそ薬師丸ひろ子さんは、視聴者に共感してもらえる女優になったのではないかと思います。 今後も薬師丸ひろ子さんの活躍が楽しみですね。

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大林宣彦監督が角川映画の熱気を語る! 角川映画48本を上映する角川映画祭を開催中の角川シネマ新宿で8月13日にトークショーが行われ、大林宣彦監督が登壇。 「角川映画は僕にとっての青春」と熱を込めた大林監督が、「いつかおばあちゃんになった知世と映画を撮ります」と『時をかける少女』の原田知世との再タッグを願った。 『ねらわれた学園』 81 では、薬師丸ひろ子を主演に映画を撮り上げた大林監督。 「キャメラのすぐ横に立って、『僕の顔を見て芝居しなさい』と言った。 それを映画館で上映するとみんな『ひろ子ちゃんが僕を見ている』と思う。 これが映画の面白さね。 ひろ子ちゃんは大アイドルになった」と観客の心を打った秘訣を告白。 さらに「その後、相米慎二が『女優に育て直す』とやったのがこれ。 あいつは大天才だから」と相米監督の才能を絶賛しつつ、『セーラー服と機関銃』 81 について言及。 「僕が 薬師丸を アイドルにして、相米慎二が女優として育て上げた。 こんな傷なんて作っちゃって。 こんなこと相米じゃなきゃできないよ」と撮影時に薬師丸の頬についた傷について、「相米監督ならでは」と話すと会場からも笑いが起こっていた。 その後、83年に『時をかける少女』が公開となる。 昔のジュディ・ガーランドとかあの時代のハリウッド女優のように姿勢がいい」とヒロインの原田は稀有な存在だったという。 『時をかける少女』を「あの時代とはズレにズレた映画だった」と表したものの、「いつの時代にも少年の中には清純な心がある。 古典的で、大正ロマンチシズムや明治の時代のように作れば、今の子も振り向いてくれるという確信があった」と時代を超えて愛される普遍性について思いを明かしていた。 40周年を迎えた角川映画だが、「ひろ子ちゃん、知世ちゃん、 渡辺 典子ちゃんというアイドルを開発した。 そこに若き作家たちを起用した。 角川がなかったら、今の日本映画はないと言えるくらい」とその功績を称えた大林監督。 「角川映画や僕たちが一番大事にしたのは、表現の自由。 テンでバラバラ、混沌としたように見えるけれど、そこには表現者の自由があった。 未来を信じる熱気があった」とパワフルなラインナップに思いを馳せていた。

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NHK BSプレミアム『薬師丸ひろ子コンサート2018「歌がくれた出逢い」』4月18日再放送

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そんな憧れの生活を、(56才)はすでに送っていた。 トップ女優の意外な素顔。 東京から車で2時間。 落葉広葉樹に囲まれたその土地は、一年を通じて豊かな四季を感じられる。 新緑が目に眩しい昼下がり、色とりどりの別荘が点在する林間の小道を、向こうから男女ふたりが、ほどよい距離で並んで歩いてきた。 その女性は、現在放送中のNHK連続テレビ小説『エール』で、ヒロイン・音()の母親・関内光子を好演する薬師丸ひろ子(56才)だった。 「薬師丸さんは2013年に大ヒットした『あまちゃん』に次ぐ2度目の朝ドラ出演を楽しんでいるようです。 歌手になるという夢を持つヒロインが熱唱するシーンの収録では、『歌声を聴いていて、私も歌いたくなっちゃったわ』とおどけていましたよ」(ドラマ関係者) 薬師丸は過去にインタビューでこう語ったことがある。 「私は実生活で母親になった経験がありませんから、固定観念がないぶん、母親役を自由に演じられるんです」 『エール』では、子供がまだ幼いときに事故で夫を亡くし、女手ひとつで3人娘を育てる、強くて優しいシングルマザーの役どころだ。 時に「女が男に黙って従う時代じゃないで!」と男性にタンカを切る強い女性。 時に「お父さんは、目には見えないけれど、ずっとあなたたちのそばにいる」と涙ながらに娘を励ます母親。 家業の馬具製造を苦労しながら切り盛りし、娘の成長にも真っ直ぐ向き合う光子の姿に、「朝から泣けてしょうがない」(50代主婦)という声も少なくない。 柔和な表情の中にも強い芯を感じさせる女優・薬師丸のハマり役なのだろう。 1964年に東京・港区で2人姉妹の次女として生まれた薬師丸は、14才にして映画『野性の証明』でスクリーン・デビュー。 1981年には代表作となる名作『セーラー服と機関銃』のヒロインを務め、主題曲で歌手デビューを果たすと、その曲は160万枚を超えるメガヒットを記録した。 「清純派女優として人気が爆発し、角川映画の看板女優へと駆け上がりました。 そのため、自宅には昼夜を問わずファンが殺到しました。 学業への支障を恐れた母親は、父親を自宅に残したまま薬師丸さんを連れて家を出て、当時薬師丸さんが通っていた高校の近くに引っ越したほどでした。 自分のせいで両親が離れ離れに暮らすことが心苦しかった薬師丸さんは、20才で独立して個人事務所を立ち上げ、家族と一緒に暮らすため横浜に豪邸を建てたそうです」(芸能関係者) 1991年、27才で(61才)と結婚して芸能界をセミリタイアするも、1998年に離婚。 当時、薬師丸の誕生パーティーの席上で玉置が「今日で別れます」と前代未聞の離婚宣言をしたことが、スキャンダラスに報じられた。 「離婚後に薬師丸さんは芸能活動を再開しましたが、恋愛話については口をつぐむようになりました。 モダンな外観の2階建てで、家の裏にはストーブ用の薪が積まれている。 薬師丸は都内一等地にも、かつて玉置と暮らした豪邸を所有しているが、「最近は庭先の手入れもされていないし、めったに姿を見かけない」(近隣住民)という。 東京都心育ちのシティーガールのイメージが強い薬師丸が、なぜ田舎暮らしを選んだのか。 地方でのゆったりとしたスローライフの傍らには、そっと寄り添う恋人がいる。 「薬師丸さんの恋人は、50代後半のNHKのカメラマンAさんです。 2001年に薬師丸さんが出演していたBSドラマ『コウノトリなぜ紅い』の撮影を担当した縁で薬師丸さんと知り合い、ほどなくして東京の彼女の自宅で半同棲するようになったようです。 職人気質の仕事人でありながら温和で優しいAさんは、薬師丸さんのご両親とも良好な関係だそうですよ」(テレビ局関係者) 長らく事実婚の関係にあるA氏とは、近年になって地方移住をしたようだ。 地方とはいえ、東京まで車でおよそ2時間。 10代から東京でキャリアを積んだ女性が、50代に入って自分らしいゆったりとしたペースで仕事を続けるにはちょうどいい。 地方移住には、もう1つ大きな理由があった。 薬師丸の両親がすぐ近くの別荘で暮らしているのだ。 「Aさんが薬師丸さんと暮らすようになった頃に、ご両親は別荘地に拠点を移して田舎暮らしを始めました。 ひょっとして、玉置さんのときに二世帯同居につまづいたので、娘のために距離を置こうという気持ちがあったのかもしれませんね。 お母さんは高齢で足が悪いので薬師丸さんがしばしば東京から様子を見に行っていましたが、5〜6年前にAさんが別荘を購入して、近くに住むようになりました。 Aさんも薬師丸さんのご両親の近くに住むことには大賛成だったそうです」(薬師丸を知る関係者) 5〜6年前といえば、東北・岩手の三陸海岸の町を舞台にした『あまちゃん』の放送直後。 東京生まれ、東京育ちの薬師丸だが、そのドラマをきっかけに地方暮らしのスローライフに親近感を持ったのかもしれない。 ましてや新型コロナに見舞われているいま、薬師丸のような暮らしをうらやましいと感じる女性がとにかく増えている。 「都会に住むということに、こんなに大きなリスクがあるとは思いませんでした。 リモートで仕事ができる環境も整ってきたし、月に何度か東京に出てくれば充分に仕事は続けられる。 住みやすい地方の物件を本気で探しています」(40代フリーランス女性) 「田舎で暮らす80代の両親のことが気になるのに、感染症を防ぐため、東京の人は地方に行くことができません。 いま倒れられたら、死に目にも会えないのではないかと、気が気でないです。 こんなことなら夫の退職を機に、住み慣れた地元に帰っておけばよかった」(60代主婦) 薬師丸は10年以上前のインタビューで、理想の生活についてこう語っていた。 「年齢を重ねて、自分がどうやったら居心地がいいのかが、だんだんわかってきたような気がします。 先のことをあまり思い煩わずに、淡々と、できれば死ぬまで仕事を続けていきたい。

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