フェンダー ミュージック 株式 会社。 フェンダー (楽器メーカー)

会社情報

フェンダー ミュージック 株式 会社

フェンダー( Fender Musical Instruments Corporation)は、がに創業したメーカーである。 主に、の製造を行っている。 概要 エレクトリックギター、、ギターアンプの製造販売を行う会社としては同じくアメリカ合衆国の社などと並んで世界でも屈指の企業として認識されている。 また、ソリッドボディのエレクトリックギターを世界で初めて量産したことでも知られる。 本社はにあり、製造拠点としての工場、のエンセナーダ工場がある。 カスタムショップの所在地や上位機種の製造はコロナ工場で行っており、その他、スクワイアやアーティストシグニチャーといった廉価版楽器の製造下請け会社としてサミックやサンハン、コルト、などが請け負っている。 旧社名は Fender Electric Instrument Manufacturing Company。 なおに関しては独立して別稿を設けているため、そちらを参照。 歴史 フェンダーが試作したのスケッチ(1944年) 前身はにレオ・フェンダーがで創業した「 フェンダー・ラジオ・サービス(Fender's Radio Service)」で、やの修理を行っていた。 とアンプの製造を開始する。 しかし、カウマンとの共同経営は解消、社名をフェンダー・エレクトリック・インストゥルメント・カンパニーに改名する。 エレクトリックギターは後半から数多くの製造業者によって作られていたが、それらの多くは胴体の部分が中空のホロウ・ボディと呼ばれる構造であった。 また、ソリッド・ボディ(胴体部が中空でない構造)であっても社のハワイアン・ギターのように特殊な奏法向けであったり、ポール・ビグスビー製作の通称「ビグスビーギター」のようにオーダーメイドであったりしたため量産型のソリッドボディのエレクトリックギターは存在しなかった。 ミュージシャン、発明家のもソリッドボディのギターの開発を進めていたがギブソン社からモデルが発売されたのはからである。 フェンダーは頃にソリッド・ボディのエレクトリックギターの試作品を完成させ、にとして発表。 にはを発表、にに改称、その理由は社のに同音の商標(綴りは「Broadkaster」)のモデルが存在したからである。 対応を迫られたフェンダー社は極短期間だがヘッドのデカールのモデル名を切り取って販売を続けた。 これは通称「ノーキャスター」と呼ばれる。 実質的にはテレキャスターが世界初の量産型のソリッドボディ仕様のエレクトリックギターと言える。 同年世界初のであるを発表。 フレットを採用し正確な音程を得ることができるプレシジョンベースは当時革命的であった。 にはを発表。 その後もに 、には、に当時の最高級機種であるを発表するなど、現在も多くのミュージシャンに愛用されている名器を生み出した。 フェンダーのギターやベースの特徴としてソリッドボディの量産以外にによるデタッチャブル・ネック方式が挙げられる。 従来のセットネック方式(膠での接着)に比べ格段に修理などが容易になり、この方式は現在多くのギターメーカーで採用されている。 エレクトリックギター産業の先駆者として多くの楽器を発表したフェンダーだが、に社に売却され法人としての「フェンダー社」は無くなる。 また、同年V. C Squier社を買収する。 同時にレオは経営者から技術顧問として同社に残るものの、僅か数年で退社している。 健康上の理由と新たに開発した技術を新体制のフェンダー社が積極的に採用しなかったためとも言われている。 その後は楽器業界の低迷による売り上げの低下による業績不振、さらにフェンダー社製品の品質低下に加え、廉価なコピーモデルの横溢によって自社の市場が脅かされるなど企業として弱体化が進む事態を迎え、初め頃にはストラトキャスターなど看板商品が一時生産を終了するにまで至った。 にでの販売拠点として、フェンダーとフジゲンを筆頭株主とし、山野楽器や神田商会などが出資した株式会社フェンダージャパンを設立する。 、CBS社の楽器部門の撤退により、などに在籍していたビル・シュルツをに迎えてフェンダー社が再興される。 同年に製造拠点を失っていたため、フジゲンの技術支援のもとコロナ工場を建設。 に新たな工場拠点としてフェンダーとフジゲンでそれぞれ4800万円を共同出資し、メキシコ法人のフェンダーメキシコを設立する。 同年にオーダーメイド部門のフェンダー・カスタム・ショップを設立した。 にバブル崩壊後、多大な負債を抱えていたフジゲンがフェンダージャパンとフェンダーメキシコの株式を売却し、フェンダージャパンは吸収合併され消滅、フェンダーメキシコは完全子会社となる。 に、新規株式公開(IPO)を申請。 同社は2. 4億ドルの長期負債を抱えており、IPOで調達した資金は負債の返済に充てると見られている。 IPO申請時の株式保有率は、米ウエストン・プレシディオが42. 92%、山野楽器が14. 28%、神田商会が12. 85%となっている。 その後の同年12月、ハワイの自動車販売を主をするサーブコ・パシフィックが米投資会社TDP Growth共同でウエストン・プレシディオの株式を取得し経営権を得た。 3月20日、山野楽器との販売代理店契約を終了し、フェンダーが日本に現地法人を立ち上げることを発表した。 4月1日より新たに立ち上げられたフェンダーミュージックジャパン株式会社が業務を引き継ぐ。 1月、TDP Growth所有の株式をサーブコ・パシフィックが取得した事により株式の過半数の得て、経営権を掌握したことがプレスリリースされた。 レオ・フェンダーが去った後、楽器制作に精通したスタッフが乏しく技術力が低下していたため、にフジゲンから杉本眞 現Sugi Guitars らの技術指導チームを招き、ハイエンドを製造する前身の部署が設立された。 またスタッフも外部からJohn Suhr、John Page、Larry L. Brooks、Michael Stevensら著名なビルダーを招き徐々に名声を広げていき、現在の形へとなった。 あえて古い製法を復活させたり、レギュラーラインには使用されない銘木を使用したギター、長年の使用によって付いた傷や汚れ、錆などを再現し、使い込まれたような加工(エイジング加工)をする新たな技術を導入するなど、特別仕様となる。 有名ギタリスト本人が使用しているアーティストモデル、及びユーザーから発注を受けた特注品、楽器ショーなどに展示されるワンオフ生産のギターはカスタムショップで製作されている。 近年では、プロのアーティストが使用していたギターの傷や特徴などを細かく精査し、細密に再現した「トリビュートシリーズ」などがある。 マスタービルダーが手がける製品にはそれぞれのビルダーならではの嗜好や個性が反映された物が多く、昇進や異動等で製造職から離れたビルダーや、退社後に独立して自身のブランドを立ち上げるビルダーも数多く存在する。 役職としては以下の通り 製品を大別すると以下の3種類 主な量産シリーズ フェンダーは現在メインの生産拠点であるのコロナ市の工場と廉価版製造が主であるのエンセナダ市に自社工場を構えている。 日本の楽器店等ではコロナ工場製造のものをフェンダーUSA、エンセナダ工場生産のものをフェンダーメキシコと呼んでいるが、ユーザーが呼称しているだけで実際にはそういった名称は存在しない。 その他、傘下のブランドには、、、、ビグスビー、タコマ、SWR、SUNN等がある。 にギルド・ギター・カンパニーがコルドバ・ミュージック・グループに、Gretsch Drums、TOCA Percussion、Latin Percussion、KAT Percussion、Ovation Guitars、Gibraltar HardwareをDW(Drum Workshop)に売却。 (グレッチギターはフェンダーが所有のまま) 2015年にはKMC Music(Ovation Guitarを製造していた企業。 2008年にフェンダーに買収され、子会社になっていた)はJam Industriesに売却されている。 フェンダー・ジャパン から3月まで存在した。 フェンダー・ジャパン株式会社 1982年-1997年 1997年以降のシリアルナンバー 以降、日本の楽器市場でフェンダーギターのコピー商品が出回り始めた。 フェンダー社はその主な製造先であったに対して訴訟を起こし販売停止に追い込むなどの対抗手段が取られたが、価格の面でコピー商品を完全に駆逐することができなかった。 そのため、最終手段として自身も日本に製造拠点をおいて低価格なギターを販売することにし、に当時の国内代理店であり筆頭株主でもあったの仲介の元、やなどの下請け製造をしていた富士弦楽器製造(現)とフェンダーの共同子会社のフェンダー・ジャパン株式会社を設立した。 この時、当時の筆頭株主であった山野楽器とも共に共同出資を行い、にて設立発表も行われた。 設立後は、富士弦楽器製造が製造担当となり国内向けの廉価版シリーズを(組み立てはダイナ楽器)、ワンランク上の製品をフェンダー・ジャパンとして販売開始された。 設立当初のフェンダー社の計画は、日本国内のコピー品の駆逐とスクワイア・ブランドの廉価品のアメリカ国内及び海外販売を目的としたものだった。 しかし、1985年にCBSがフェンダー社を売却し、当時社長であったビル・シュルツが経営権を買収したが工場は含まれなかった為、製造拠点を失っている。 その為、新工場が設立されるまでの間、日本のフジゲンが製造した製品がフェンダー製品として世界中で販売された。 海外向けの(1983年 - 1987年)および、Fender USA Vintage re-issue series(1987年まで)の製造は、フジゲンによるものである。 後、フェンダーメキシコなどの設備投資で大きな負債を抱えていたフジゲンがにフェンダーメキシコ社と共にフェンダー・ジャパン社を売却。 完全子会社化したフェンダーはフェンダーメキシコ社のみを残し、フェンダージャパンはへと統合され幕を閉じた。 神田商��ブランド 1997年-2015年3月 フェンダー・ジャパンが解散後、代理店であり株主でもあった神田商会が新たなビジネスとして中にフェンダーから商標のコピーライセンスの使用許諾を得て、『フェンダー・ジャパン』を自社のプライベートブランドとして再興させた。 開業当初はや寺田楽器、アトランシアなどの外注で木工などの製造を行い、当時自社ブランドなどの楽器組み立て工場として持っていた子会社ので組み込みをし販売をするというスタイルであった。 その後、にダイナ楽器が設備投資を行い木材加工も可能にし、自社生産のものを『』と刻印するようになった。 には完全に自社グループ内で製造するようになった。 両者を見分けるポイントはシリアルナンバーであり、フェンダー子会社時代のフジゲン製造のものは「MADE IN JAPAN」、神田商会ブランド以降は木材加工などの製造が外注で組み込みがダイナ楽器のものは「CRAFTED IN JAPAN」、完全にダイナ楽器が製造しているものは「MADE IN JAPAN」表示となっている。 アメリカの本家フェンダーには存在しないオリジナルモデルや生産が終了したモデル、、、などのアーティストモデル、、等のマニアックな復刻モデルの発売など、日本独自やニッチな市場にも向けた商品展開が特徴のひとつである。 2015年3月20日、同年4月にフェンダーが日本支社のフェンダーミュージック株式会社を立ち上げたのに伴い、神田商会とのライセンス契約を3月31日をもって終了し、同時に「Fender Japan」ブランドの終了が発表された。 フェンダーミュージック株式会社 2015年4月- 以前からフェンダーの下請け会社でもあったダイナ楽器によるフェンダージャパンの生産ラインは、フェンダーのジャパン・エクスクルーシブ・シリーズとして組み込まれ、4月から販売が開始された。 しかしこれは過去にの製品の輸入代理店がからギブソンジャパンに移行された時期と同様に、地方部の販売店のように大量の仕入れが困難な店舗や、他社のコピーモデルを販売している店舗には商品を卸さないという事例が多発しており、問題となっている。 同年7月22日、恵比寿ガーデンホールにて『Fender Launch Party』が開催され、フェンダーの楽器を愛用するアーティストが集結し、今後は輸入代理店を介さずにアメリカから直接日本に届けることが可能になったことを披露した。 フェンダー・ライセンスド・ブランド 現在フェンダーは海賊版対策として自社製品の下請け会社や元下請け会社などに限定して、自社のコピー品の製造をライセンスを与えることで認可している。 主な企業は以下の通り。 製造ギターなど ここでは派生モデルも別のギターとして扱う。 派生モデルが未編集の場合、元のモデルを参照。 過去に製造され現在は製造していないモデルも含む。 (英語)も参照。 エレクトリック・ギター• エリート・テレキャスター• セット・ネック・テレキャスター・ カントリー・アーティスト• ストラトキャスター・エリート• ストラトキャスター・ウルトラ• ストラト XII• ストラト・エリート• コロナド XII• LTD• モンテゴ II• カスタム• マーヴェリック• スターキャスター• パフォーマー• カタナ• アコースティック・ギター• アバロン• ニューポーター• マリブ• レドンド• ワイルド・ウッド• キングマン エレクトリック・ベース• テレキャスターベース• ミュージックマスター・ベース• その他 Fender Twin Reverb キーボード• バンドマスター• バンドマスター・リヴァーブ• ブロンコ• チャンプ• ヴァイブロ・チャンプ• デラックス・リヴァーブ• ショウマン• デュアル・ショウマン• デュアル・ショウマン・リヴァーブ• スーパー・リバーヴ• スーパー・ツィン・リヴァーブ• ヴァイブロソニック• ヴァイブロソニック・リヴァーブ• ヴァイブロラックス• ヴァイブロラックス・リヴァーブ• ヴァイブロバーヴ• ベースマン 50• ベースマン 100• ベースマン 135• スーパー・ベースマン• ミュージックマスター・ベースアンプ エフェクター• フェンダー・ブレンダー• エレクトリック・エコー・チェンバー• エコー・リヴァーブ イヤフォン・インイヤーモニター Fenderは、2016年1月にメーカーであるAurisonics社を買収し、業界に参入した。 Aurisonics社は、2011年にDale Lottが創業。 当時は従業員1名のみだったが、2014年時点で従業員25名規模となり、業務拡大に伴い本社も3倍のサイズの場所に移転している。 当時の製品の特徴として、筐体はを使用して成形し、塗装やドライバー等の組み込みも手作業で行っていた。 複数のドライバーが組み込まれているIEM製品について、ネットワークを用いずに音響ダクト等を工夫し、チューニングでバランスを取っている。 Fenderに買収された後もこれらの特徴は製品に引き継がれている。 創業者のDale LottはそのままFenderに移籍し、同社のイヤフォン開発を手掛けている。 脚注 [] 外部リンク• - Fender Musical Instruments公式サイト(英語)• - フェンダーミュージック株式会社公式サイト(日本語)• - チャンネル(fendermusical).

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フェンダー (楽器メーカー)

フェンダー ミュージック 株式 会社

Fender Guitar Factory museumの展示 生誕 死没 国籍 別名 レオ・フェンダー 教育 フラートン短期大学 配偶者 フィリス・フェンダー 業績 専門分野 エレキギター エレキベース 楽器用アンプ 所属機関 Fender's Radio Service 1938年-1945年 1945年-1965年 1972年-1984年 1972年-1991年 設計 テレキャスター ストラトキャスター プレシジョンベース エスクワイヤー ブロードキャスター クラレンス・レオニダス・フェンダー(Clarence Leonidas Fender, - )は、の・製作者。 、現在のフェンダー・ミュージカル・インストゥルメンツ株式会社の創業者。 来歴 [ ] に生まれ、若い頃から電気工学への関心を示した。 高校時代には、趣味としての製作、修理を行った。 1928年に高校を卒業し、フラートン短期大学に進学する。 そこでは会計学を専攻し、卒業後カリフォルニア州ハイウェー局で会計係となる。 数年の勤務後、1938年にラジオの修理会社の『フェンダーズラジオサービス』を始める。 フェンダーは、クレイトン「ドクター」カウフマンと共に、ラジオの修理業からエレクトリック・スチール・ギターとアンプの製造へ手を広げた。 カウフマンとの事業を終え、フェンダーは「スペイン式」ソリッドボディ・のアイディアに興味を持った。 1950年、ジョージ・フラートンと共にとブロードキャスターを発表する。 それらは、フェンダー社によって製造された、最初の標準的エレクトリックギターであった。 ブロードキャスター Broadcaster の名称は社の商標(グレッチ社は Broadkaster)だったため、しばらくの間ヘッドのデカールのブロードキャスターの部分だけを切り取って販売。 これがいわゆるノーキャスターで、その後当時人気を博しつつあったテレビにあやかって、 Telecaster として発売された。 1951年には、を発表。 それは、演奏者に最も影響を与えた楽器の一つとなった。 意外にも、フェンダー自身はギター演奏を学んだことがない(高校時代には、サクソフォンを演奏した)。 しかし、南カリフォルニアにおけるミュージシャン・コミュニティに対して密接な繋がりを持っていた。 フェンダーのギター作成法は、ネックとボディを別々に作った後、木ネジで接合するというものだった。 この方法は、他の競争者(主として)と比べて構造が単純で、修理が容易という利点があった。 フェンダーの方法は1950 - 60年代の楽器製造に於いて革新的で、効率的に製造できた。 多くのミュージシャンが、テレキャスターや、プレシジョンベースを採用した。 フェンダーは、1960年代にかけて新しいギターやベースを作り続けた。 1965年に、フェンダーは健康問題から、会社をに1,300万ドルで売却した。 なお、ギターと同等もしくはそれ以上の功績をにおいて遺している。 はフェンダー・アンプのコピーから始まっていて、基本回路はフェンダー初期の「ツイード・アンプ」である。 1991年3月21日、の併発症で死去。 最期に、「世界中のアーティストにしてあげられる事は全部やった」と遺した。 、入りを果たした。 外部リンク [ ] ウィキメディア・コモンズには、 に関連するカテゴリがあります。

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フェンダー (楽器メーカー)

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「まず心配なのは、品質の管理です。 一般的にアメリカからギターを輸入する際は大型船を使用するのですが、その航海中に、たとえば100本のギターがあったら、そのうち30本は製品として駄目になってしまうこともあります。 それをしっかりと検品して、フェンダーのブランドを守ってきたのが山野楽器で、そこには50年を越えるノウハウがありました。 山野楽器とのパートナーシップを解消したフェンダーが、その品質管理をそのまま引き継ぐことができるのかは未知数ですね。 また、前述した国内の楽器店との摩擦も懸念されます。 たとえばフェンダーが、特約店販売契約や廉価なコピーモデルを販売する楽器店には製品を卸さない、といった施策を取った場合、様々なモデルを扱い、顧客に選択の自由を提供している楽器店などは反発するでしょう。 フェンダーのギターはもはやスタンダードともいえる形で、似たような形の製品は巷に溢れているので、それを一切排除するのは楽器店にとっても損失となるはずです。 実際、2006年に山野楽器との代理店契約を終了したギブソンは、品質管理や楽器店との摩擦などの問題もあり、あまり見かけなくなってしまいました。 有名な楽器店でもギブソンを扱っていない場合が多いのも現状です。 フェンダーもまた、ギブソンと同じ轍を踏む可能性はあるでしょう」 しかしながら、フェンダーの新たな歩みには期待も大きいという。 「フェンダーの創設者であるレオ・フェンダーはもともと技術者で、自らギターを弾くことができないこともあってか、『楽器は音楽を演奏するための道具である』という質実剛健な思想を持っていました。 手工品の価値よりも実用性、ドライバー1本でバラバラにできるのがフェンダーのギターです。 ネックですら、壊れたら取り換えればよい、という極めて合理的な発想のもとにモノ作りをしていたのです。 それは一見するとドライな考え方に思えますが、だからこそフェンダーのギターは革新的でしたし、アメリカ工業製品の象徴ともいえる楽器になり得たのです。 今回の施策もまたドライではありますが、そこから生まれる革新性もあるんじゃないかと、個人的には期待していますね。 80年代の再興時にフェンダーが掲げたのは『我々のライバルは他ギターメーカーではない、Nintendoだ』でした。 フェンダーの日本法人は今後、どんなビジネスを展開していくのだろうか。 (文=松下博夫)• 2 current.

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