金平 会長。 協栄ジムの金平正紀会長は元在日韓国人なのですか?山根明会長...

金平会長、オーナー側から事実上の“解雇通告”/BOX

金平 会長

2019年は良い意味で盛り上がった日本ボクシング界。 しかし年末になり、名門中の名門、協栄ジムが騒がしいようです。 その理由は、金平会長が協栄ジムの「休会届」を出したのです。 休会届が東日本ボクシング協会で受理されてしまえば、事実上「プロ活動休止」となってしまいます。 協栄ジムには全日本新人王戦を控えた亀田京之介や竹原毅と言うホープも在籍しているだけに今後の動向が気になりますね。 今回はそんな協栄ジム会長、金平桂一郎氏の休会届の経緯、嫁・子供など家族の話題やWikiを中心にお伝えしていきますね。 金平会長 協栄ジム休会届の理由や原因は? アマチュアボクシングの山根会長やテコンドーの金原昇会長、そしてレスリングでは栄監督がパワハラなどの問題で話題になりました。 そして今度はボクシングの老舗、協栄ジムの金平会長がお騒がせしていますね。 ネット上では今話題のテコンドー、金原会長と名前が似てるのか間違えている人も多いようです。 さて、その金平会長ですが12月9日に「東日本ボクシング協会」にジムの休会届を提出しています。 先にもお伝えした通り、名門、協栄ジムの将来を担う2人の有望選手が在籍しています。 1人は亀田京之介。 そう、あの亀田三兄弟のいとこでもあるのです。 ここまでの戦績は7戦5勝 4KO 1敗1分。 「浪速の狂拳」と言われまだまだ実力は未知数の選手。 21歳と若くこれからと言うところだったのに、新人王戦直前でのジムの休会が決まり、決勝に出る事ができるのか心配ですね。 何かと叩かれてきた亀田三兄弟のいとこという事でアンチも多いですが、私は亀田京之介のガチ路線は評価していて、楽しみな選手の1人なんですね。 何とか他のジムの救済で決勝戦には出てもらいたいです。 もう一人の竹原毅は24歳。 ボクサーとしては一番充実した時期でもあるでしょう。 プロ入り後の戦績は5戦5勝 1KO)無敗。 東日本新人王決勝ではベテランの梅本選手を見事に3回TKOで破り見事に栄冠を掴んでいます。 twipu. あのモンスター井上尚弥が次に狙っている階級でもありますね!その竹原毅も決勝まで移籍先のジムは見つかるのでしょうか。。 さて、それでは協栄ジムがなぜ休会届を提出する事態になってしまったのか!? 金平会長によると、実質的なジムオーナーと金平会長との間で方向性の食い違いが起こり「経営トラブル」が原因との事ですね。 またオーナー側からしたら、経営が厳しい状況の中、金平会長がジムにほとんど顔を出していない事が気に入らなかったと言う報道も出ています。 まあ休会にまでなってしまうわけですから、表には出ないもっと複雑で長期間に渡った問題がある事は間違いないでしょう。 金平会長 結婚した嫁や子供はいる? 現在、金平会長は54歳になります。 さて、メディアではジムの経営トラブルばかりニュースに上がっているのですが、金平会長の私生活はどうなのでしょうか。 実は今から25年前の1994年に金平会長は結婚しています。 結婚相手の嫁さんの名前は真由美さん。 結婚の馴れ初めですが、嫁さんが協栄ジムの事務員として仕事をしていたので職場結婚という事になるのでしょうね。 嫁さんの年齢や画像などの詳細は不明ですが、ネット上では美人との噂も。 そして金平会長と嫁さんの間に子供がいるかどうかについては、以前自身のSNSで子供はいない事を公言しています。 金平会長 激やせやボクシング歴、韓国の噂について さて、過去に色々と噂になった事について挙げてみますと、まず金平桂一郎会長の「激やせ」について、何か病気なのでは?と言われていた事がありました。 yahoo. 実はこの時は亀田三兄弟と父親の史郎さんが何かと世間を騒がしていて、その心労もあったみたいですね。 ご本人曰く、 「先代からジムを引き継いでから、いろいろ心労がありまして・・」 と言っています。 気になる病気の方は、胃潰瘍だったそうで痛みを和らげるためにお酒?を飲み過ぎてしまい、今度は肝臓をやられてしまったとか。 当時はまだ41歳。 あれから15年ほど経過しましたが、今の方が断然健康的になりましたよね。 yahoo. お体だけは十分気を付けてほしいものですが。。 金平会長のボクシング歴について。 ボクシングジムを会長を務めている方は自らボクシングの経験があるケースが多いと思います。 しかし金平会長はボクシングの経験はないようですね。 そしてネットでも話題になっている金平会長が韓国の出身ではないかと言う噂ですが。。 実際には東京の渋谷出身の金平会長。 おそらく名字から韓国人ではないかと?推測されていると思うのですが、日本人だそうです。 金平桂一郎会長 まとめ 亀田興毅や大毅が世界王者として活躍している時に新宿の大久保にあった協栄ジムを見学に行ったことがあります。 過去に具志堅用高を始め、名王者を生みだしてきた協栄ジム。 いつまで「休会」が続くかわかりませんが、気持ちとしては高校野球の「PL学園」が廃部となってしまったと事と同じくらい寂しいですね。 プロ選手や練習生の為にも早い復活を望みます。

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協栄ジム休止の理由 金平会長とオーナーの関係 閉鎖の可能性は

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経営悪化の契機は2012年の世界戦 金平会長によると、今回ジムの休会に至った最大の要因は実質的なジムのオーナーとの金銭トラブルにあるという。 金平会長は2014年に実質的オーナーと業務委託契約を結び、雇われる形でジムの会長職に収まっていたが、今年11月27日付で「会長の職務を果たしていない」として契約解除された。 2012年3月に行われたWBC世界スーパーフライ級タイトル戦を機に、協栄ジムの経営が悪化した。 タイトル戦では当時協栄ジムに所属していた佐藤洋太氏が王者を破って王座を獲得。 協栄ジムはその後、佐藤氏の世界戦を3度主催し、2度目の防衛戦でわずかに黒字が出たが、その他は赤字となり経営が傾いたという。 経営難は深刻で、先代から引き継いだ東京・大久保にあった自前のジムを売却せざるを得なかった。 ジムを存続させるため、金平会長がとった手段はスポンサーにジムの経営権を委ねること。 金平会長はスポンサーと業務委託契約を結び、雇われ会長としてジムの運営に携わった。 ここで問題視されるのが、協栄ジムの商標権だ(現在「協栄ボクシング」の商標は、都内の企業が権利を保有している)。 この問題に関して金平会長は以下のように主張した。 「詳しいことは言えませんが、(商標権譲渡の)手続き上の瑕疵(かし)があったと認識しています」と指摘し、「私が言えることは、協栄ジムがボクシング界から消滅したわけではないということ。 協栄ジムのオーナーライセンスを持っているのは私であり、商標権は別問題。 協栄ジムを再建するために休会という手段を取らせていただきましたし、決して消滅ではなく休会です。 新たなスポンサー探しも始めています」と語った。 将来的に協栄ジム復活の可能性は? 規定により、休会したジムは5年以内に復帰の手続きをしなければ自動的に退会となる。 そこで初めて協栄ジムが消滅することになり、金平会長が今後、新たなスポンサーを見つけ、実質的オーナーと協栄ジムの商標権について話し合いがまとまれば、将来的に協栄ジムが復活する可能性は否定できない。 ただ、現時点では所属先が宙に浮いた選手の新たな所属先を見つけることが先決となる。 金平会長によると、ジムの実質的オーナーと今年に入ってから確執が生まれ、以降、関係が悪化したという。 また、私生活では20年以上連れ添った夫人と今年5月に協議離婚し、現在は独り身であることを告白した。 金平会長は「この度は、私が至らぬばかりに選手、スタッフに迷惑をかけたことをお詫びしたい。 私がなんとかしなければならないのは分かっていますが、今はジムに立ち入ることさえ出来ない状態ですから。 今後はジムを再興させるために力を尽くしていくだけです」と話した。

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竹原慎二に金平会長激怒 youtubeで畑山隆則との不義理暴露

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概要 [ ] 金平正紀協栄ボクシングジム会長の具志堅用高に対する酷使・搾取及び裏金取引の告発記事が石山伊佐夫記者により週刊文春1981年8月6日号に掲載される。 追加取材の段階で防衛戦の対戦相手に薬物入りの食品を与えていた情報を得た 週刊文春は、特別取材班による国内・国外潜行6ヶ月の取材の成果として、3月11日号から「金平が、具志堅や渡嘉敷勝男の防衛戦の相手に薬物を混入したを飲ませた」とする記事を5週にわたって掲載。 「」が金平の反論記事を載せるなど 、他誌やスポーツ紙、もトップニュースで取り上げ 、テレビのも後追い報道を繰り広げ、国会でも取り上げられるなどボクシング界の醜聞にしては異例の大騒動になった。 週刊文春には、買収されて「毒入りオレンジジュース」を出したホテルの料理長の証言と、薬の成分がであること、その他の搾取と恐喝などについての内容が書かれていた。 金平は一貫して否認し、関係者の証言も一部食い違うため真相は闇の中である。 この事件が原因で、金平は1982年にボクシング界からライセンスを無期限剥奪された(7年後に処分が解除、プロボクシング界に復帰)。 また、具志堅のも中止になった。 渡嘉敷勝男の世界前哨戦での工作 [ ] 具志堅が、WBA世界ジュニアフライ級()タイトルを失った後、金平会長は、のある内に、タイトルを取り戻すために具志堅に再挑戦を促すが、首を縦に振らない。 系列の当時同級日本チャンピオンであったを挑戦者に1度は決めたが、交渉にあせり、は失敗する。 そこで、協栄ジムのデビュー以来9連勝「具志堅二世」の呼び声の高いに出番は回ってきたが、1981年、具志堅敗戦直後に日本同級タイトル戦を伊波に挑戦して敗れ 、同年4月当時東洋太平洋ジュニアフライ級チャンピオン&WBA同級世界3位のとで遠征試合をして敗れてしまった。 同ジムにあと一人、具志堅の「スパーリング・パートナー」として残っていたのが、渡嘉敷勝男だった。 渡嘉敷は、当時日本ランキング同級1位とはいうものの、世界の檜舞台から見れば、無名のボクサーであった。 金平会長は、渡嘉敷を世界タイトルにふさわしい挑戦者とするために、1981年6月2日にて「世界タイトル挑戦者決定戦」と銘打ち、多田が闘った金龍鉉と10回戦を行った。 金平会長にすれば、どうしても負けられない一戦であった。 金は、1980年1月27日大阪にて具志堅用高 V11 に挑戦し、15回判定負けはしたものの、OPBF東洋太平洋同級チャンピオンを3度防衛 しているため、ボクシング専門誌 は、「渡嘉敷、世界3位・金から大金星」と報じた。 渡嘉敷の10R判定勝ちであった。 金選手は、崔承哲マネージャーと鄭英華トレーナーの3人で5月30日に来日し、協栄側の用意した後楽園近くのビジネスホテルSに宿泊する。 協栄ジムの関係者によれば、「5月31日、試合前の減量で金はあまり食べない。 その代わりレモンを注文して絞って飲んでいた。 」と本郷のスーパーでレモンを購入し、それに小型の注射器で薬液を注入し、食堂ウェイターに金選手へ手渡すように託した。 しかし、協栄スタッフの一人が、金平会長がホテルSから帰宅した後、そのレモンをウェイターから回収したため金選手側には渡らなかった。 試合前日の6月1日は、「毎回同じ果物だと不自然」「レモンだと、一旦ウェイターに手渡さなければいけないから」と十数個のを新宿のフルーツパーラーと中野駅前のスーパーで買い、その内、薬物を仕込ませた6個を茶色の紙袋に入れ、「崔マネージャーに渡すように」とホテルのフロントに預けた。 このオレンジを巡って、翌2日の試合直後の後楽園ホール控え室で、崔マネージャーは、「この試合はおかしい。 問題にする!記者団に公表する!」と気が狂ったような大声で、息巻き続けたのが発端だった。 この他、に薬物を仕込んだことも発覚している。 その他の疑惑 [ ] 酷使 [ ] 具志堅が引退を申し出たが許さず防衛戦を強行、さらに20度までの防衛を強要した。 嫌がる具志堅を選挙応援に無理やり駆り出した。 搾取 [ ] 搾取についての一例としてあげられるのは、具志堅がタイトルを()に明け渡した3月8日の沖縄戦。 収入は、テレビの放送権料が9千万円、CM料が肖像権料等を含めて1億5千万円、地元に売る興行権料が5千万円。 支出は具志堅に7千万円(マネジメント料、税込み)の他、前座試合にかかる諸経費。 すると協栄ジムには、1億円前後が転がってくる。 その他、具志堅の選挙応援報酬、広告出演料、祝儀金、サイン会謝礼などから大幅なピンハネ・抜き取りをした。 恐喝 [ ] 秋、「鳩の森保育園」がジムに隣接する土地に施設を建設しようした際に、金平は「せっかく作ったジム屋上のネオン看板がから見えなくなる」と主張し、知人であったの社員三人をジム階上のアパートに住民登録させ、まがいの工事妨害を図った。 保育園側の抗議ビラの内容によれば「園の弁護士に暴力をふるう。 一方的に怒鳴り散らし、物を投げ、閉め出す」というスポーツ団体にあるまじき態度であったという。 しかし、この件は1981年11月28日「看板料」(決算委員会での委員によれば、看板料300万円・引っ越し料300万円)として保育園側が金平に600万円を直接支払い、和解した。 町田スイミングクラブ設立に参加した際に、因縁をつけて「総会屋を連れて来るぞ」と脅し1500万円を喝取した。 名誉毀損裁判 [ ] 1982年5月、金平が文藝春秋を相手取り慰謝料3000万円と謝罪広告掲載を求めた名誉毀損裁判を起こした。 東京地裁は記事内容を概ね事実と認めつつ、金平の顔を侮辱した表現が名誉毀損に該当するとして被告側に慰謝料100万円の支払いを命じた。 のちに和解。 後日談 [ ] 金平正紀の長男で当時16歳だったは、父と事件について語り合ったことはないとしながらも「大仰な中吊り広告や電車内で文春を読む人の多さに驚いた」「報道後の父は居直り、にあやかって、『俺はボクシング界の闇将軍になる』と豪語していた」「父はライセンス剥奪後も支援者の存在が支えになっていたようだ」「父は関連記事を全部保存していた」「あの時代は日本選手が海外の試合で妨害工作を受けることが珍しくなかった」「この騒動によりボクシング界は良い方向に変わっていった」と振り返った。 脚注 [ ]• : 24-31頁. 1982-03-11. : 16-20頁. 1982-03-28. : 151-152頁. 2009-04-02. : 22-25頁. 1982-04-08. ボクシング・マガジン1981年7月号• 1982年3月11日号「週刊文春(金平問題第1弾!)」• 1982年4月1日号「週刊文春(金平問題第4弾!)」• 4月8日号「週刊文春(金平問題第5弾!)」• 金平桂一郎 2007年12月27日. オフレコ厳禁. インタビュアー:. 74-78. テリー伊藤 対談,537. 外部リンク [ ]• ダイヤモンド 2020年6月10日•

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