ブレーメン 大島。 【帰ってきたアイドル親衛隊】突然渡米・結婚し引退…しかし離婚してヌードで復帰した渡辺桂子ほど消化不良の気持ちになったことはない (2015年11月20日)

居酒屋ナックルズ「AKB48第5回選抜総選挙総括!果たして波乱はあったのか?!」久田将義×ブレーメン大島×ゆうじ

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85年に誕生した「おニャン子クラブ」は、放課後のクラブ活動をイメージし、アイドル界の勢力図を塗り変えた。 筋金入りのマニアであるタレント、ブレーメン大島氏が「その後の艶姿」を以下、一気に振り返る。 「おニャン子は2年半の活動で、その幕を閉じました。 彼女たちには順に会員番号がつけられ、50人以上がデビューしています」 87年8月31日に「夕やけニャンニャン」(フジテレビ系)が終了すると、メンバーはソロで活動する者と、そのまま引退する者に二分された。 今なおバラエティー番組やドラマで活躍する国生さゆりは、91年のドラマ「しゃぼん玉」(フジ系)でアッと驚く姿を見せた。 「初回の冒頭に、主演の長渕剛とのベッドシーンを見せてくれました」というブレーメン氏によれば、「長渕が国生の体にマヨネーズを塗りたくり」、地上波と思えないほど生々しい不貞の営みだったという。 実際、共演を機に不貞関係となり、志穂美悦子夫人の目の前で別れを宣言したことが長渕の口から明かされた。 そうした背景を含めて、あらためてシーンを検証してみると、 「こちらがイメージしていた国生という期待に応えてくれましたね。 それほど濃厚かつリアルなシーンでした」 国生は会員番号8番で初期のエース格だが、中興の祖となったのが29番の渡辺美奈代だ。 「わかりやすく王道アイドルのかわいらしい顔だち。 番組後期の人気を支えた功労者です」 そして解散後、何度となく写真集を出し、ナマヒップを見せるなどギリギリの線まで攻めた。 ただし、と前置きして、ブレーメン氏は「渡辺満里奈や工藤静香と並んで、後期メンバーではメジャーな存在」だとして、それゆえに「寸止め脱ぎ」が続いたのかもしれないと推測しつつ「一度はズバッといってほしかった気もします」と語った。 さて、おニャン子の記念すべき「会員番号1番」を与えられたのは奥田美香。 ところが、喫煙写真が週刊誌に掲載され、わずか3週間で番組を降板。 そして88年、奥田は「準ミスプレイボーイジャパン」に選出され、元メンバー初のフル脱ぎを披露することになる。 90年代に入ると、後期メンバーや中学生予備軍の「おニャン子B組」から脱ぎ披露が相次いだ。 ブレーメン氏によれば、わずか1日しか在籍しなかった37番・大貫かおりは、いきなりハードな変則プレイ的な脱ぎ披露したが、在籍期間から見ても「おニャン子の脱ぎ」にカウントしていいのか意見が分かれるところだとか。 B組5番の山崎真由美についても「移籍したイエローキャブで細川ふみえらとトリオを組んだ印象のほうが強い」として、フル脱ぎは何度も見せたものの、「おニャン子のイメージはあまりありません」という。 むしろブレーメン氏は、B組1番の吉見美津子が脱いだことに衝撃を覚えたという。 時代の熱狂がうかがえる。

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ライブアイドル

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概要 [ ] 1980年代末頃から、それまでを歌ってきたアイドルの在り方が否定的に捉えられるようになり、1990年代に入ると、「アイドル冬の時代」へと突入して、マスメディアに登場するアイドルの形態が、それまでの歌手活動を中心とするものから女優、CM、グラビアなどを主とするものへと変化していった。 こうした状況下で、アイドル黄金時代と呼ばれた1980年代と同様に歌を中心とした活動にこだわるアイドルは、J-POPにその座を奪われてテレビなどへの出演が難しかったため、地道なライブを中心に活動するようになる。 その活動はテレビ番組の様な華やかな世界とは遠いもので、小規模なライブハウスや区民会館、百貨店の屋上などで行われ、握手会などを繰り返しファンと間近に交流するようになっていった。 この頃、後のライブアイドルにあたる者はプレアイドルと呼ばれ、がその代表的な存在で、、、らが活動した。 一方、グループアイドルとしては(SKi)やキューティーレモンなどが同様に活動したが、冬の時代における厳しさは何ら変わることなく、外道と呼ばれる極端なファンとも渡り合っていかねばならなかった。 また、1992年、 [ ]は大手事務所から独立して無所属となることがきっかけで大手メディア活動が前提の業界から事実上黙殺され、1995年 にこのような活動に加わった。 1990年代後半、テレビでは出身のがアーティストとして活動しながらアイドル的な人気も獲得し、その後『』からはが生まれ、アーティスト志向ではない昔ながらのアイドル文化を復活させると、再びアイドルに注目が集まるようになった。 一方でプレアイドルにその流れが直接波及することはなかったが、そのような時に、東京にライブハウス「四ッ谷サンバレイ」 が開業し、ここが多くのプレアイドルの活躍の場になることで、その知名度が増し始めた。 この四ッ谷サンバレイが地下にあったことで、彼女たちを「地下アイドル」と呼ぶようになったと言われている。 地下アイドルの特徴は、大手媒体への露出がないことを逆に熱いライブやファンとの触れ合いで覆そうとしていた所にあり、その頑張りを身近に体験できる一体感がファンの支持を得ていく。 2000年代に入ると、 に代表されるが勃興し、の歩行者天国で路上ライブを繰り広げ、特に専用の劇場を構え恒常的に公演を行うが表れると、大きな社会現象を引き起こした。 AKB48は単なる物販を行うだけでなく、その購入数を握手など触れ合いの時間や投票と絡めることでCDの売り上げが低迷する中でも大きな売り上げを上げ続け、これは「AKB商法」と呼ばれて批判も浴びた。 2010年代には、過酷な環境でも活動を可能にしてきたライブアイドルの手法と、AKB48の影響が相まって「アイドル戦国時代」と呼ばれる、過当競争を生み出すまでに至っている。 この頃になると、地下アイドルとの呼称は良くない印象が出始め、またAKB48とその姉妹グループのように、元来はライブ活動中心のアイドルであっても、メディアに積極的に登場するようになったため、相対的に地下アイドルの呼称も実情に合わなくなったため、言い換えとして「ライブアイドル」という呼び方が使われるようになってきた。 また、ライブで会えるアイドルとの意味合いから「リアル系アイドル」という呼び方も存在する。 ライブアイドルの中でも活動内容によって細分化されることがあり、は、ソロでやメジャーアイドルのカヴァーを歌っている「地底アイドルシーン」と、その上(自らの持ち歌がある)の「地下アイドルシーン」の二層構造になっている とに語っている。 また、は、「自分の音楽や表現をアイドルを通して実現しようという節のあるアーティスト性のある運営が経営している小規模なアイドル」を「インディーズアイドル」、「芸能事務所的な立ち位置の運営が経営している小規模なアイドル」を「地下アイドル」として区別している。 特徴 [ ] ライブアイドルの所属先は小規模な芸能事務所が多く、中には事務所に所属せずセルフプロデュースで活動する 場合もある。 ファンとの距離が近いことが特徴で、「会いにいけるアイドル」を標榜する者もいる。 ライブアイドルの活動は、メジャーとインディーの垣根を取り去り、職業としてアイドルになる、もしくは認められる以前の、という意味合いで呼ばれることもある。 プレアイドルの時代から、ライブアイドルは小規模なライブに多く出演し、会場での物品販売などと組み合わせ収益にしてきた。 CD、Tシャツ、ライブで用いられるや、などの販売や撮影における売上が主な収益となっている。 形式や内容は運営やイベント等によって異なるが、基本的には物販の購入特典として握手などのコミュニケーションが付随する。 また、などの店舗で購入特典としてライブなどの催しを行うこともある。 昔は気軽に会いに行けたりコミュニケーションを取れるアイドルとされていたが、AKB48の成功以来から物販で物を買わないと会話や握手ができないという差別化が図られるようになった。 主に渋谷などで活躍する地下アイドルはほとんどがこれに該当する。 また、主に本人たちが望まなくても事務所や運営側の方針でこのような方法がとられる場合がある。 脚注 [ ] [] 注釈 [ ]• 基本的に、マネージメントも事務所やレコード会社に頼らず、すべてアイドル本人が1人でこなす場合が多い。 」 『現代用語の基礎知識 2007』 自由国民社 2007年 p. 1526• 「サブカルチャー事情に詳しいフリーライターの来栖美憂さんによると、1990年代、おにゃんこクラブの流れを受け、大人数のアイドルグループが続々と誕生した。 アイドルとしてのハードルはぐっと下がり、アイドルになりたいと思う女の子は急増。 そんな「インディーズのアイドル」がさらに先鋭化したものが地下アイドルという。 」 2008年3月16日• 『アイドル進化論 - 南沙織から初音ミク、AKB48まで』 p. 236• 『アイドルバビロン』• 「1992年に所属事務所を辞めました。 それはそれは当時、大騒ぎで文芸春秋、読売新聞等からも取材されました。 脅されたり、騙されたりしながらも周りにいた人たちに助けられ収入も身寄りもない中、なんとか生きていました。 当時、コンビニで立ち読みしていた「投稿写真」という雑誌に「宍戸留美、死亡説!」と書かれていて、編集部宛に「私は生きています!」とハガキを投稿! それを機に特集記事が組まれました。 その記事を読んだフジテレビのFさんが私をゴールデンタイムの番組に起用してくださいました。 その辺りから徐々にお仕事を再開。 フリーになって3年後、アイドル時代のアルバムを聴いた東映の女性プロデューサーが私を矢沢あい原作アニメ「ご近所物語」のオーディションに呼んでくれました。 イエイ!!!見事合格!主題歌と主役を担当!!この時ばかりは「生きててよかった」と心の底から思いました。 ここからが私の声優という新しい世界の始まりです。 自分でチケットを売ってCDも売るということを始めました。 「ライヴアイドルの元祖」といわれています。 それらの活動は私に充実感をくれました。 現実世界でファンの人とお話ができたり、感想が聞けたり。 そんなこんなを17年続けています。 2012年10月28日時点の [ ]よりアーカイブ。 『W100 LIVEアイドル』 p6-7 (2010年4月、電脳サブカルマガジンOG)• 2012年9月2日• 「音楽ソフトの売上数について改めて簡単にまとめると、日本の音楽CDの売り上げは1999年以降、2011年まで連続して前年を下回り、前年を上回った十二年の数値を見てもCD生産枚数は最盛期(1998年)の半数以下に落ち込んでいる。 また、1990代半ばには年間20タイトルを超えていたCDシングルのミリオンセラーも、2012年は5タイトルになっている。 このようにCD売り上げにおいて音楽産業が往時の勢いを著しく欠く中で、なお高いCD売り上げを誇っているのが、「アイドル」という芸能ジャンルの代表格であるAKB48とその姉妹グループである。 2012年のミリオンセラーシングル五タイトルはすべてがAKB48名義のものであり、同年のCDシングル売り上げランキング上位20タイトルのうち、12作品がAKB48とその姉妹グループのものである。 CD売り上げ全体が減退するなかでこれらアイドルのCDが高い売り上げを維持していることは、「AKB商法」的なものへの批判的視線をさらに際立たせている。 もっとも、この批判的視線について相対化を促す議論が少なくない」 『「アイドル」の読み方 - 混乱する「語り」を問う』 pp. 110-111• 『グループアイドル進化論』 pp93-100• 吉田光雄(吉田豪) [ WORLDJAPAN] 2016年5月24日. ツイート. より 2017年2月5日閲覧。 ブッチニュース 2016年12月9日. 2017年2月5日閲覧。 『グループアイドル進化論』 pp102-105• 『アイドル・パフォーマンスとアジア太平洋共同体の意識形成』 p43• 「プレアイドル【ぷれあいどる】 本来は、これから一流アイドルになるであろうアイドルの卵達のことを指すが、あまりメジャーでないアイドルのことをこう呼ぶことがある。 ただし、最近ではこの層のアイドルが少ないため、あまり用いられなくなっている。 」 『』 2002年5月24日 参考文献 [ ]• 』 JICC出版局 1990年8月1日• 青柳寛 「」 『産業経営研究』第18巻 日本大学 1996年3月30日 p. 43-58,• ブレーメン大島 「インディーズアイドルの真実」 『UTB(アップトゥボーイ)』 2008年8月号 vol. 186 ワニブックス 2008年8月1日 pp55-56• サエキけんぞう(監修) 『W100 LIVEアイドル』 シンコーミュージック・エンタテイメント 2010年11月30日• 太田省一 『アイドル進化論 - 南沙織から初音ミク、AKB48まで』 筑摩書房 2011年1月27日• 香月孝史 『「アイドル」の読み方 - 混乱する「語り」を問う』 青弓社 2014年3月20日.

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ブレーメン大島 お笑い芸人部門 恐怖の追跡〜あの人たちは今?〜

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「モーニング娘。 」の初代メンバーとして98年にデビューした福田明日香が6月19日、大胆な写真集を出すことで話題を集めている。 お笑い芸人のユリオカ超特Q氏が分析する。 「まさか、あれだけあどけなかった彼女が先陣を切るとは思いませんでした。 映画評論家・秋本鉄次氏が衝撃の作品を紹介する。 「スーちゃんこと故・田中好子は、89年に、今村昌平監督作「黒い雨」(東映洋画)で、二次原爆症を患う女性の役を演じました」 そして、浴室でみずからの髪の毛を触ると、ずるりと大量の髪の毛が抜けるシーンですべてを脱ぎ捨てた姿を見せたという。 「田中は同作で日本アカデミー賞最優秀主演女優賞に輝きました」(秋本氏) モンスター級の人気を誇った「ピンク・レディー」は、それぞれに新境地を描く。 「ミーこと未唯mieは、解散直後の82年に『コールガール』(松竹)で主演を演じました。 シャワーシーンでは、彼女がこんなことをするなんてと衝撃的でした」(前出・秋本氏) もうひとりのケイこと増田恵子も94年に「週刊プレイボーイ」で初マッパを披露。 写真集も告知していたが、なぜか発売延期になり、幻のショットとなった。 そして80年代に大ブームを巻き起こしたのは「おニャン子クラブ」だ。 筋金入りのファンであるタレント・ブレーメン大島氏が振り返る。 「メンバーきっての歌唱力を誇った会員番号13番の内海和子が解散から5年後の92年、まさかの写真集を発売したのは驚きました。 艶っぽい路線の対極にいただけに、まさかという感じでした。 ほかにも会員番号8番の国生さゆりは、長渕剛の主演ドラマ『しゃぼん玉』(91年、フジテレビ系)で、マヨネーズをふんだんに使った不貞シーンを見せてくれました」 6月2日発売の「週刊アサヒ芸能」6月11日号では、こうした意外な「その後」を大特集している。 あの日の青春が蘇ってきそうである。

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