ゴンドラ の 唄 歌詞。 ゴンドラの唄 佐川ミツオ 歌詞情報

ゴンドラの唄

ゴンドラ の 唄 歌詞

『ゴンドラの唄』というタイトルは知らなくても,「いのち短し,恋せよおとめ」という文句なら聞いたことがあるという人は少なくないでしょう。 『ゴンドラの唄』はロシアの文豪ツルゲーネフの小説『その前夜』をもとにした大正時代の新劇の劇中歌として生まれ,その詩は森鷗外訳の『即興詩人』のなかの俚謡をもとにしたとされますが,その誕生や出自に関しては,実は一筋縄では行かない複雑な背景があります。 本書で私は『ゴンドラの唄』をめぐって複雑に絡み合った幾筋もの糸を丹念に解きほぐし,歌の背後にある《カルペ・ディエム》(いまを生きよ)の詩想の系譜を浮き彫りにすることを試みました。 また,黒澤明の映画『生きる』の主題歌として用いられることによって,「恋せよおとめ」が精神的な価値の追求という意味に変容したことを明らかにするとともに,現代文化のなかで(それも意外にもサブカルチャーにおいて)聞こえる『ゴンドラの唄』のこだまに耳をすまし,この歌の受容の歴史を生き生きと描き出そうと努めました。 本書で私が目ざしたことは,次の三つを柱にしています。 『ゴンドラの唄』にまつわるエピソードを掘り起こし,知られざるドラマに光を当てること。 『ゴンドラの唄』の詩句に寄り添い,隠された物語を明らかにすること。 現代文化のなかに『ゴンドラの唄』のこだまを聞き取り,その秘められた可能性を探ること。 具体的には,もともと私のなかにあった(そして読者も共有しているに違いない)以下のような疑問に答えようとするものです: ・『ゴンドラの唄』は歌い手によって歌詞がさまざまであるが,元はどのような詩だったのか? ・なぜロシア文学の小説/舞台化にヴェネツィアのゴンドラが出て来るのか? ・芸術座の『その前夜』劇はどのような芝居だったのか? ・ツルゲーネフの原作には『ゴンドラの唄』に相当する歌が出て来ないばかりか,ゴンドラ船頭は今では歌を歌わないというただし書きが付いている。 が,実は,黒澤明監督の映画『生きる』の中で志村喬演じる主人公が歌ったこの唄は,ツルゲーネフの『その前夜』が舞台化されたときの,劇中歌だったのだ。 そして,黒澤明監督自身も,この事実に気づいていなかったらしいと著者は書く。 私自身も,この事実を,以前相沢氏が書いたもので知ったのかもしれない。 当時,二葉亭の翻訳の影響でツルゲーネフが読まれていたことは書かれている。 が,ロシアものでは『復活』,『闇の力』,『アンナ・カレニナ〔ママ〕』などについては,須磨子が演じた役についても記述されているのに,『その前夜』はこの扱いである。 そこで,相沢氏は,第I部の「『ゴンドラの唄』の誕生」において,芸術座による『その前夜』公演について検討を進める。 〈…中略…〉 「『ゴンドラの唄』の詩学」と題された第II部では,まず,第5章「歌詠みの芸当」において,この作品の歌詞の元ネタは森鷗外が訳した『即興詩人』であることを,吉井自身の言葉を参照しつつ確定させている。 だが,この事実によって,吉井の功績が貶められるということはない。 相沢氏は,「詩学」とあるように,この歌詞の母音の配置の仕方や,脚韻とも呼ぶことのできる現象に触れ,吉井の技巧を存分に描きだしている。 また,音律については都々逸調であるとまとめ,これは昭和時代の日本でもはやっており,この歌詞を例えばアニメ『巨人の星』の主題歌のメロディーでも歌えるとしているところでは,顔がほころんでしまった。 また,この章の標題に出てくる「芸当」という言葉が,実は,鷗外と吉井の確執をも語っていることには,思わず,膝を打った。 〈…中略…〉 第IV部は,「『ゴンドラの唄』と現代文化」と題して,投書に載ったこの唄のイメージやアニメやドラマ,Jポップなどに現れたこの唄について紹介しているが,その中で,「いのち短し」の部分が消えて,「恋せよ乙女」だけになっていく傾向があると指摘されているのが興味深かった。 以上述べたように,古典から音楽,さらにはサブカルチャーまで,守備範囲の広い研究で瞠目させられた。 昨今の大学教育の例に漏れず,自分の勤務する大学でも,ロシア文学のみならず,幅広くサブカルチャーが教育の題材となっているため,学生の卒論執筆に付き合い,相沢氏が例としてあげておられる 288頁以下 上遠野浩平の『ブギーポップは笑わない』を読んだことがある。 しかしながら,登場人物がゴンドラの唄をつぶやきながら校庭をぶらつくシーンがあったことは,全然記憶していなかった。 やはり,相沢氏が「あとがき」に書いておられる 317頁 ように,「ゴンドラ・ハンター」にならなければ,こういうことは記憶に残らないのだろう。 だから,この著書の題名は,直接的には黒澤の映画で『その前夜』の劇中歌が「甦った」ことをさすと思われるのだが,相沢氏自身もまた,甦りに立ち会う霊媒師のような存在なのである。 そして,人文科学の使命にはこういう要素もあるのではないかと,改めて力づけられた書物であった。 それに,この広く深い内容を著者は,門外漢にも親しみやすくという配慮なのか,「です・ます」調で書いてくれているので,余計に読みやすかったことも付け加えておこう。 〈…中略…〉 「ところで」,本書の醍醐味は,もちろんテーマに即した本文の内容の深さにあるのだが,実は,要所要所に出てくる「ところで」,「ちなみに」,「これに関連して」,「本題に戻りましょう」(つまり,それまでのは本題ではなかった)などなどの,いわゆる「脱線」というか「閑話休題」的部分というか,そこが実に読んでいて面白いので,その部分に関しては折に触れて述べたいと思う。 〈…中略…〉 著者は,この「カルペ・ディエム」をさらに発展させ,『椿姫』の中の「乾杯の歌」から帝政ローマの詩の中の「バラを摘め」の一節(ラテン語では「カルペ」は「摘む」という意味だそうだ),さらには,ペルシャの詩人の詩『ルバイヤート』(「この一瞬を楽しもう」や「摘むべき花は摘むがいい」といったフレーズが出てくる),そしてついには唐詩仙の李白『春夜桃李の園に宴するの序』まで,「ゴンドラの唄」の「詩想」の広がりを描いて見せる。 けだし本書は文学研究者の書にして,侮るなかれ,である。 〈…中略…〉 しかし,最初にも述べたが,これは文学研究の書という枠をはるかに超えたものであることは,映画や現代のサブカルチャーにいたる「ゴンドラの唄」の系譜を追った本書の後半部分を読んでもらえば分かる。 というのは、私の好きな「命短し、恋せよ乙女 赤き唇 あせぬまに 熱き血潮の 冷えぬまに 明日の月日は ないものを」という「ゴンドラの唄」の源流はハンス・クリスチャン・アンデルセンの『即興詩人』らしいという情報に接し、これまた大好きで、何度も読み返している『即興詩人』にその該当部分を発見できない自分に苛立っていたからである。 著者の粘り強い探索によって、「もともとイタリアのヴェネツィアで歌われていたという里謡(小歌)をデンマーク人のアンデルセンが半自伝的作品(『即興詩人』)に取り込み、そのドイツ語訳を(森)鴎外がやや恣意的に日本語に訳したものをもとに焼き直して作られた詩が、ロシアの小説(イワン・セルゲーヴィチ・ツルゲーネフの『その前夜』)を日本で舞台化(島村抱月率いる芸術座が1915年に松井須磨子主演により帝劇で上演)する際の劇中歌(吉井勇作詞・中山晋平作曲)に用いられた」と、明らかにされている。 ツルゲーネフの原作には、この歌は存在しなかったのである。 <…中略…> さらに、この本は、興味深い3点に目を向けさせてくれた。 第1点は、吉井とその文学の師・鴎外との、どこか緊張感を孕んだ微妙な師弟関係である。 第2点は、吉井の「ゴンドラの唄」は与謝野晶子の『みだれ髪』の影響を受けているのではという指摘である。 著者は、「その子二十(はたち)櫛に流るる黒髪のおごりの春のうつくしきかな」の「黒髪」、「やは肌のあつき血汐にふれも見でさびしからずや道を説く君」の「あつき血汐」、「春みじかし何に不滅の命ぞとちからある乳(ち)を手にさぐらせね」の「春みじかし」「命」との相似性を挙げている。 私も「ゴンドラの唄」と『みだれ髪』の親近性が気になっていたので、この点でもすっきりすることができた。 第3点は、黒澤明監督の映画「生きる」が、「ゴンドラの唄」を復活させただけけでなく、この歌の性格を一変させたという説である。 粉雪の舞う深夜の小公園で主人公が独りブランコを揺すりながら「ゴンドラの唄」を歌うシーンが印象深いが、「映画『生きる』では死期の迫った初老の男に、特にどの娘に向けてというでもなく、人びとみなに、あるいは自分に言い聞かせるように歌わせているのです。 『生きる』で渡辺勘治(主人公)がしみじみと歌って見せたことで、『ゴンドラの唄』は単に若い女の恋の歌にとどまらず、性別・年齢を問わないすべての人に開かれた歌となった」というのである。 「いのち短し、恋せよ、 少女 をとめ 」と始まる「ゴンドラの唄」もその一つと言ってよいだろう。 この「ゴンドラの唄」について縦横に語り尽くした極めて興味深い一書が上梓された。 そしてベネチアの里謡をアンデルセンが自らの作品に取り入れ、そのドイツ語訳に基づく鷗外の翻訳に吉井が独自の改変を加えることによって「ゴンドラの唄」が成立するに至るという、受容の経路を鮮やかに跡付けている。 加えて「即興詩人」とこの歌を結ぶ関係の背景に、ヨーロッパの伝統的な主題「カルペ・ディエム(今を楽しめ)」が豊かに広がっているという指摘も興味が尽きない。 また中山晋平による作曲のヨナ抜き(日本固有の音階)、8分の6拍子という特徴的な性格への言及、原作にはなかったこの劇中歌が楠山正雄の脚本において挿入されることになった経緯の考察など、見事というほかない。 さらに「ゴンドラの唄」の復活の契機となった黒沢明監督の映画「生きる」の精細な分析も秀逸である。 本書は、「ゴンドラの唄」と題された一つの歌の背後に、さまざまな国や地域の文化が複雑に絡み合いつつ深々と宿されていることを、達意の文章をとおして平明明快に、そして存分に語り出している。 ・佐藤剛氏(作家,音楽プロデューサー) <「沖縄タイムス」2013年1月26日,「河北新報」2月3日,「信濃毎日新聞」3月3日(そのほか山陰中央新聞,徳島新聞,神戸新聞,北国新聞,富山新聞などにも掲載の模様) 大衆文化 継承による創造 本書では、史実を丹念に調べながら「いのち短し、恋せよ、 少女 をとめ 」の歌詞で知られる「ゴンドラの唄」の誕生の経緯がひもとかれる。 そして発表から30年以上の歳月を経て、黒沢明の映画「生きる」に使われたことによって、忘れられていた歌が復活して生き返った事実を検証する。 さらには歌が映画に採用されるに至った経緯を掘り下げ、映画史に残る名作誕生の秘密にまで迫っていく。 映画「生きる」のおかげで永遠の歌,すなわちスタンダードナンバーとしての命を与えられた「ゴンドラの唄」が、誕生からもうすぐ100年を迎える現在もなお、若者向けのコミックや小説,テレビドラマなど、さまざまな形で継承されている状況にも触れている。 「ゴンドラの唄」が生まれた背景から今日までを丁寧に論じることで、継承による創造という、大衆文化の持つ未来への可能性を見いだす点には、特に共感を抱いた。 その着想、ひとつの歌を追い続けた熱意に感嘆する。 『ゴンドラの唄』。 いわば懐メロ。 この歌は、大正四年(1915)に島村抱月率いる芸術座が、帝劇で『その前夜』を公演した際、主役の松井須磨子が劇中歌として歌って人気になった。 原作はロシアのツルゲーネフ。 トルコの圧政と戦うブルガリア人の青年が肺病のためヴェネチアで客死する。 この水の都で、ロシア人の恋人を演じる松井須磨子が歌ったのが『ゴンドラの唄』。 無論、原作にはない。 芸術座の前年の公演、トルストイ原作『復活』の劇中歌『カチューシャの唄』を松井須磨子が歌って大ヒットしたので、それに倣った。 作曲は同じ中山晋平。 作詞は歌人の吉井勇。 歌詞には、森鷗外訳のアンデルセン『即興詩人』や、与謝野晶子の『みだれ髪』の影響が見られるという。 「恋せよ」とあるように恋愛讃歌。 同時に、人間の命には限りがあるのだから生きているいまを大事にせよという生の讃歌にもなっている。 この指摘が面白い。 古くからヨーロッパ文化に流れる「カルペ・ディエム」(いまを楽しめ)の考え方と通い合うという。 当初、この歌を中山晋平は失敗作と思っていたし、吉井勇もさほど思い入れを持っていなかったというのは意外。 ところが一本の映画のなかで印象的に使われたために、二人とも自分たちの作った歌を改めて見直すことになった。 言うまでもなく黒澤明監督の『生きる』(52年)。 『生きる』によって『ゴンドラの唄』が復活した。 しかも恋愛の歌から、生のはかなさ、いとおしさの歌になった。 ひとつの歌に文学から映画までさまざまな要素から語る力作。 芸術座の舞台では、2人が訪れたイタリアのベネチアでの場面で、ゴンドラの船頭が「ゴンドラの唄」を歌う。 ここで研究者ならではの疑問が浮かんだ。 原作の小説では文中に「船頭は歌わない」というカッコ書きの注釈がある。 舞台ではなぜ船頭が歌う設定になったのか。 「小説の翻訳者が注釈を訳し忘れた可能性が高い」とみる。 「ゴンドラの唄」はその後、映画「生きる」で脚光を浴びる。 ただし、歌の性格は大きく変わった。 「その前夜」では若い女性を誘う恋の歌だったのに対し、「生きる」では命をかけて価値あるものを求めるという意味を与えられている。 「『恋せよ』の『恋』が一種の比喩としてとらえられ、広く『情熱を傾けるもの』を指すようになった」。 普遍的な主題を獲得して「ゴンドラの唄」は現代に歌い継がれた。 近年は「メロディーと切り離して詞だけが使われる例が目立つ。 キャッチフレーズとして優れているからだろう」。 今後も変遷を見守るつもりだ。 「いのち短し、恋せよ、少女」は、いまや若者向けのコミックや、ポップス、小説にも登場する。 相沢直樹『甦る「ゴンドラの唄」』は、この唄の誕生から現在までの受容の歴史を追う。 大正4(1915)年、帝劇公演の舞台で生まれたこの唄と鷗外の『即興詩人』の関係。 映画「生きる」と黒澤明をめぐる数奇な縁など、唄の背景にある謎をみごとに解いていく。 歌の冒頭に置かれた「いのち短し、恋せよ、少女」(今日ではしばしば「命短し、恋せよ乙女」などと表記されています)という一節は人口に膾炙しているように思われますが、この歌がもともと新劇の舞台から生まれたことをご存じの方は、少ないのではないでしょうか。 『ゴンドラの唄』は、島村抱月率いる芸術座がロシアの文豪ツルゲーネフの小説『その前夜』を舞台化し、一九一五(大正四)年の帝劇公演において松井須磨子の主演で上演した際の劇中歌のひとつです。 五幕構成の劇の大半はロシアのモスクワが舞台ですが、終幕で主人公たちがアドリア海を渡るべく訪れたイタリアのヴェネツィアで、須磨子演じる女主人公によって『ゴンドラの唄』が歌われるという趣向になっているのです。 実はこの詩のテクストには完全な定本と言えるようなものがありません。 現在まで伝えられている『ゴンドラの唄』のテクストには表記や句読法などに関する微妙な異同もふくめ、さまざまな混乱や誤りが見られます。 そこで、ここではまず初めに、『その前夜』劇上演直後に出版された脚本(新潮社)と『ゴンドラの唄』の楽譜(セノオ音楽出版社)から原詩を復元してみます。 いのち短し、戀せよ、少女、 朱き唇、褪せぬ間に、 熱き血液の冷えぬ間に、 明日の月日のないものを。 いのち短し、戀せよ、少女、 いざ手を取りて彼の舟に、 いざ燃ゆる頬を君が頬に、 ここには誰も來ぬものを。 いのち短し、戀せよ、少女、 波にたゞよひ波の樣に、 君が柔手を我が肩に、 ここには人目ないものを。 いのち短し、戀せよ、少女、 黒髪の色褪せぬ間に、 心のほのほ消えぬ間に、 今日はふたゝび來ぬものを。 多くの方が無意識のうちに想定されている歌詞(現在巷に流布している歌詞)とは、表記などで細かい違いがあるのにお気づきだと思います。 句読点のことは置くとしても、すぐ目につくのは原詩の「少女」が今ではたいてい「乙女」に、「朱き」が「赤き」または「紅き」に、「血液」が「血潮」とされているなど、主として漢字表記の違いでしょう。 一方、表記の問題で済まないのは、原詩の第一連で「明日の月日のないものを」となっていたところが、現在では「明日という日のないものを」に変わっている例が見受けられることで、出回っている録音のなかにもそのように歌っているものがいくつかあります。 文語調や旧仮名遣いに慣れていない人もいると思うので、蛇足かも知れませんが、念のため現代語に訳して見ましょう。 いのちある時は短いのです 恋をなさいよ、お嬢さん あなたの赤く艶々とした唇が 色褪せてしまわないうちに あなたの肌の下を熱く流れる血潮が 冷え切ってしまわないうちに 明日の月日など あてにならないのですから いのちある時は短いのです 恋をなさいよ、お嬢さん さあ、手に手をとって あちらの小舟に乗り込みましょう さあ、私の燃える頬を あなたの頬に触れさせてください ここにはだれも 来やしませんから いのちある時は短いのです 恋をなさいよ、お嬢さん 波の間に間にゆらゆらと 波のように揺れながら あなたの柔らかな手を 私の肩にかけてください ここには 人目はありませんから いのちある時は短いのです 恋をなさいよ、お嬢さん あなたの黒々とした髪が 色褪せてしまわないうちに 燃えたぎる心の炎が 消えてしまわないうちに 今日という日は 二度とやって来ないのですから こうして改めて現代語にしてみると、驚かれた向きもあるかも知れません。 歌の文句は要するに口説き歌で、昔風に相聞歌などといえばまだ聞こえがよいですが、今風にいえばナンパ歌、男が若い娘を恋に誘う歌です(特に二番、三番の歌詞)。 けっしてPTAの推薦を受けられそうな内容ではありません。 最近ではこの歌が「叙情歌(抒情歌)」という範疇で扱われることもありますが、きれいなソプラノの声で清く正しく美しくという感じで歌い上げられるのを聴いていると、なんだかこちらの方が気恥ずかしくなってしまいます。 私は音楽の専門家でも、大正文学の研究者でもありません。 ツルゲーネフの『その前夜』研究の一環として、この作品の日本における受容の歴史を調べているうちに、芸術座による舞台化と『ゴンドラの唄』に深い関心を抱くに至りました。 これまで『ゴンドラの唄』については、もっぱら作曲家中山晋平の伝記であるとか黒澤明の映画について論じたもののなかで扱われてきましたが、調べていくにつれ、この歌に関して解明されていないことがまだまだたくさんあることに気づきました。 たとえば、『ゴンドラの唄』の詩ひとつとってみても、森鷗外の翻訳した『即興詩人』との関係が幾度も取り沙汰されてきたわりには、事実関係が曖昧なままにされている観があります。 また、ツルゲーネフの原作には『ゴンドラの唄』に相当するものは出てこないのですが、それではどうしてそれが芝居に盛り込まれたのかも一考に値する問題です。 一方、『ゴンドラの唄』を知る多くの人にとって『ゴンドラの唄』と映画『生きる』は切っても切れない関係にあるように見えるのに、映画のなかで『ゴンドラの唄』が果たしている役割が十分明らかにされているとは思えませんでした。 そして、サブカルチャーも含め、現代文化のなかに『ゴンドラの唄』のこだまがさまざまに聞かれることは、ほとんど見過ごされています。 それに、芸術座の劇中歌から生まれた流行歌のうち『カチューシャの唄』については本もあれば論文もいろいろあってよく研究されているのに対し、『ゴンドラの唄』についての本はなく、論考も数えるほどしかありませんでした。 そこでこの際『ゴンドラの唄』について調べたこと、考えたことを自分なりにまとめておこうという気になったのです。 その意味では、この本は『ゴンドラの唄』についての、『ゴンドラの唄』を主題にした初めての本になるはずです。 本書は四部構成になっています。 『ゴンドラの唄』の作詞者吉井勇と作曲者中山晋平の証言を数多く引いて、『ゴンドラの唄』誕生の背景と音楽的な特徴を論じてみました。 また、ツルゲーネフの原作小説の作品世界の特徴、登場する音楽とヴェネツィアのトポスを論じました。 そして、『その前夜』の原作(ツルゲーネフ)・翻訳(相馬御風)・脚色(楠山正雄)の三者間での比較を通して、楠山脚本に『ゴンドラの唄』が挿入された謎をめぐって推理しました。 さらに、『ゴンドラの唄』に受け継がれている《カルペ・ディエム》(今日を楽しめ・いまを生きよ)という主題が、古今東西の詩文学のなかにどのような形で現われてきたかを跡づけ、それらの遺産が『ゴンドラの唄』のソースたりうる可能性についても考えてみました。 具体的には、『ゴンドラの唄』の関係する場面の分析を通して、『生きる』におけるこの歌の役割を考察し、この映画が『ゴンドラの唄』を復活させたのみならず、「恋せよ、少女/乙女」という詩句を精神的な価値の追求の意に変容させたことを論じています。 また、『生きる』に『ゴンドラの唄』が採用された背景を探り、黒澤組とこの歌をめぐる数奇な縁に触れたほか、実際にこの映画を見た中山晋平、吉井勇の感慨なども紹介しました。 第12章では、昭和から平成にかけての『ゴンドラの唄』を歌う人びとの悲喜こもごもさまざまなエピソードを拾って紹介しました。 一方、最終章は現代文化、特にサブカルチャーにおける『ゴンドラの唄』の反映を論じたもので、マンガ、アニメ、ゲーム、ライトノベル、Jポップなどからさまざまな事例を挙げて分析するとともに、今日の「恋せよ乙女」の乱舞の背景について考察してみました。 以上四つの部は相互に連関していますが、内容的にはそれぞれ独立しています。 興味のあるところからお読みいただいてかまいません。 小山内薫「「その前夜」を見て -- 楠山正雄君へ --」• 島村抱月「「其前夜」と「サロメ」」• 吉井勇「松井須磨子に送る手紙」• 中山晋平「演劇及び映畫に於ける所謂主題歌に就いて」• ツルゲーネフ『その前夜』(小説)• 相馬御風(訳)『その前夜』(小説)• ヒポクラテス(上田敏訳)「芸は長く命は短し」• ホラティウス『歌集(カルミナ)』• アウソニウス「蕾める薔薇について」• 李白『春夜桃李の園に宴するの序』• オマル・ハイヤーム『ルバイヤート』• ロレンツォ・デ・メディチ『バッカスの歌』• ピエール・ド・ロンサール『カッサンドルへのオード』• エドマンド・スペンサー「薔薇の歌」<『妖精の女王』• ロバート・ヘリック『乙女らに,時を惜しめと』• 『ガウデアームス・イギトゥール』(学生歌)• ヨハン・ウステリ『人生を楽しみたまえ』• ヴェルディ『乾杯の歌』<『椿姫』• ヨハン・シュトラウス2世「ゴンドラに乗りなさい」<『ヴェネツィアの一夜』• 与謝野晶子『みだれ髪』• 黒澤明研究会(編)『黒澤明を語る人々』• 武島羽衣(詞)・田中穂積(曲)『美しき天然』• トルストイ『イワン・イリイチの死』• 中山卯郎(編著)『中山晋平作曲目録・年譜』• 吉井勇「いのち短し」• 逸見愛『ゴンドラの 詩 うた 』• 西村雄一郎『黒澤明 封印された十年』• 中沢啓治『はだしのゲン自伝』• 竹内直子『美少女戦士セーラームーン』(コミック,アニメ,実写ドラマ,映画... 新名あき『いのち短し恋せよおとめ』(コミック)• 『サクラ大戦4〜恋せよ乙女〜』(ゲーム)• 渡瀬悠宇『ふしぎ遊戯 玄武開伝』(コミック)• 森見登美彦『夜は短し歩けよ乙女』(小説)• 『恋セヨ乙女』(ドラマ)• 『オトメン(乙男)』(ドラマ)• 上遠野浩平『ブギーポップは笑わない』(ライトノベル)• "ALI PROJECT"『恋せよ乙女〜Love story of ZIPANG〜』(Jポップ)• "WANDS"『恋せよ乙女』(Jポップ)• 島谷ひとみ『Viola』(Jポップ)• 北原愛子『AMORE 〜恋せよ!乙女達よ!!〜』(Jポップ)•

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吉井勇作詞曲「ゴンドラの唄」

ゴンドラ の 唄 歌詞

C Arranged by FUTATSUGI Kozo 作詞:吉井勇、作曲:中山晋平、唄:松井須磨子 1 いのち短し 恋せよ少女 (おとめ) 朱 (あか)き唇 褪 (あ)せぬ間に 熱き血潮の 冷えぬ間に 明日の月日は ないものを 2 いのち短し 恋せよ少女 いざ手をとりて 彼 (か)の舟に いざ燃ゆる頬を 君が頬に ここには誰れも 来ぬものを 3 いのち短し 恋せよ少女 波に漂う 舟の様 (よ)に 君が柔手 (やわて)を 我が肩に ここには人目も 無いものを 4 いのち短し 恋せよ少女 黒髪の色 褪せぬ間に 心のほのお 消えぬ間に 今日はふたたび 来ぬものを 《蛇足》 松井須磨子は、明治19年(1886) 3月8日、長野県松代に生まれ、上京して、早稲田大学教授・島村抱月が主宰する劇団「文芸協会」の俳優養成所に入りました。 初公演『ハムレット』のオフィーリアで認められ,続いて『人形の家』のノラなどで成功を収め、劇団のスターとなりました。 その間、妻子ある師・島村抱月と恋愛関係に入ったことで、世の非難を浴び、文芸協会から追放されます。 しかし、それに屈することなく、同じく早大を追われた抱月とともに、劇団「芸術座」を結成、以後、女座長として毎公演主役を演じました。 それらの公演では、須磨子が劇中歌を歌うのが特色で、とくに『復活』で歌われた『』や、『その前夜』の『ゴンドラの唄』、『生ける屍』の『』は、大評判になりました。 写真は『ゴンドラの唄』に出演中の松井須磨子(早稲田大学演劇博物館所蔵)。 これらの歌を作曲したのが、長野県から上京して、抱月の書生になっていた中山晋平でした。 中山晋平は、これらの作曲によって一躍有名作曲家となり、以後『船頭小唄』『出船の港』『東京行進曲』『東京音頭』などのヒット曲を次々と発表します。 歌謡曲や民謡のほか、『舌切雀』『証城寺の狸囃子』『砂山』『てるてる坊主』などの童謡も数多く作曲しました。 『ゴンドラの唄』の作詞者は、明星派の歌人として出発し、石川啄木などとともに、文芸誌『スバル』の創刊に当たった吉井勇です。 吉井勇は、伯爵家の次男に生まれましたが、長男が早世したため、嗣子となりました。 しかし、放蕩と情痴に日々を過ごしたあげく、爵位を返上し、晩年を京都で過ごしました。 「人の世にふたたびあらぬわかき日の宴のあとを秋の風ふく」(『酒ほがひ』) などの名歌を数多く残しています。 大正7年(1918) 11月5日、抱月は折から蔓延していたスペイン風邪のため急逝。 須磨子は『カルメン』の公演を続けましたが、翌大正8年(1919) 1月5日、芸術座の道具部屋で自殺しました。 『ゴンドラの唄』は、戦後、黒沢明監督の傑作の1つ『生きる』によって再び有名になりました。 癌のため余命4か月くらいとの宣告を受けた市役所の市民課長(志村喬) が、非人間的な官僚主義の末端で無意味に生きた〈勤続30年〉を取り返すために、機械的に処理していた古い陳情書を取り出し、下町の低地を埋め立てて小さな児童公園を作ることに挺身して死ぬ……という映画です。 志村喬が、雪の降る児童公園で1人ブランコに乗りながら、『ゴンドラの唄』を口ずさむシーンが、深い感動を呼びました。 (歌詞についての追記) 吉井勇の歌詞は、ロレンツォ・デ・メディチが1490年に謝肉祭(カーニバル) を盛り上げるために作った「Trionfo di Bacco e Arianna(バッカスとアリアドネの勝利) 」を下敷きにしたという説があります。 メディチ家はルネサンス期にフィレンツェを支配した豪族で、その最盛期の当主がロレンツォでした。 統治や経済的能力に加えて、詩才にも恵まれていたようです。 「Trionfo di Bacco e Arianna」は8聯60行から成る長詩で、テーマは『若さは美しいだが、あっという間に消えてしまう。 明日はどうなるかわからないのだから、今のうちに楽しんでおこう」というもの。 このテーマは『ゴンドラの唄』と共通していますが、歌詞はほとんど似ていません。 ロレンツォの詩には、ゴンドラも、紅き唇の 黒髪の 乙女も出てきません。 ほかに『ゴンドラの唄』によく似た詩があります。 森鴎外が独訳書から再訳したアンデルセンの『即興詩人』に出てくるヴェネツィア民謡です。 ちょっと長いですが、挙げておきましょう。 朱の唇に触れよ 誰か汝 (そなた)の明日猶在るを知らん 恋せよ 汝の心 (むね)の猶少 (わか)く 汝の血の猶熱き間に 白髪は死の花にして その咲くや心の火は消え 血は氷とならんとす 来 (きた)れ 彼 (かの)軽舸 (けいか)の中に 二人はその蓋 (おほひ)の下に隠れて 窓を塞 (ふさ)ぎ戸を閉ぢ 人の来り覗ふことを許さざらん 少女 (おとめ)よ 人は二人の恋の幸を覗はざるべし 二人は波の上に漂ひ 波は相推し相就き 二人も亦 (また)相推し相就くこと其波の如くならん 恋せよ 汝の心の猶少く 汝の血の猶熱き間に 汝の幸を知るものは 唯だ不言の夜あるのみ 唯だ起伏の波あるのみ 老は至らんとす 氷と雪ともて汝の心汝の血を殺さん為めに 森鴎外は『即興詩人』を明治25年から34年(1892~1901) にかけ、断続的に雑誌『しがらみ草紙』などに発表しました。 単行本初版は、明治35年(1902)。 吉井勇は、昭和18年(1941) 発行の自著『歌境心境』 のなかで、(即興詩人) は中学2年の時、出版を待ちかね買い、一気に読了し た旨記しています。 また、松井須磨子宛の手紙に、次のように記しています。 「この時作つた『ゴンドラの唄』は、實を云ふと鷗外先生の『卽興詩人』の中の『妄想』と云ふ章に『其辭にいはく、朱の唇に觸れよ……』とあるのから取つたものですが……」(相沢直樹著「『ゴンドラの唄』考」による)。 吉井勇は文芸誌『スバル』の主宰者の一人で、鴎外はその主要な寄稿者でしたから、交流はあったでしょう。 したがって、吉井勇がテーマやフレーズを無断で使ったとは思われず、事前に鴎外の了承を受けていたはずです。 詩としては、『即興詩人』のヴェネツィア民謡より『ゴンドラの唄』のほうが傑作だと思います。 とくに冒頭の「命短し 恋せよ少女」は彫琢の1句といってよいでしょう。 (二木紘三) MIDI歌声喫茶からのファンで新作HPにたどり着くのに歌のHPから リンクからリンクへと放浪の旅しながら やっと二木さんの名前見つけた時の嬉しかった事。 最初に開いたのが 懐かしい 黒沢監督 生きる の主題歌 ゴンドラの唄です。 二木さんが 蛇足に書かれていますように最後のシーン 志村喬さんが ブロンコに乗りながらこの唄を口ずさみながら 死んで いきますね。 とても寂しい唄でしたが 感動しました。 また 松井須磨子もよかったでしょうが、森繁久弥が低音で唄ったのも よかったです。 一日の最終章がこのHPです、好きな曲聞いて 癒され 明日への活力 となります。 有難うございます。 蛇足 役人気質は今昔 同じ 残念です。 投稿: 川本 常二郎 2007年9月20日 木 23時34分 オオシオ ソウヘイ様 貴兄のコメントを読ませて頂き、胸が熱くなりました。 コメントに感動し、差し出がましいのは承知のうえで一言述べさせてください。 「ゴンドラの唄」を聴く時、いつも黒沢明監督の「生きる」を思い出します。 余りにも有名なこの映画のことはさて置き、オオシオ様が言われるように、これほど情感に満ちた濃密な日本語の歌はないと思っています。 「いのち短し 恋せよ少女(おとめ)」の中に、人生の意味が凝縮されているように思います。 今さらジタバタしても始まりません。 そして、出来れば、あの市民課長のように、ほのぼのとした笑みを浮かべながら死にたいものです。 勝手気ままな拙文で失礼しました。 オオシオ様のご自愛をお祈りいたします。 投稿: 矢嶋武弘 2008年4月 3日 木 17時01分.

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ゴンドラの唄 歌詞「藤田恵美」ふりがな付|歌詞検索サイト【UtaTen】

ゴンドラ の 唄 歌詞

「いのち短し 恋せよ少女」で有名な「ゴンドラの唄」。 歌い出しこそよく知られていますが、この曲を誰が最初に歌い、いつ流行したのかは、あまり知られていません。 2015年は「ゴンドラの唄」が発表されてから100年という記念すべき年です。 大正時代のヒット曲 「ゴンドラの唄」の生い立ち 大正4年(1915年)に藝術座が公演したツルゲーネフ作『その前夜』の劇中歌として、「ゴンドラの唄」は女優の松井須磨子が披露しました。 藝術座は文芸評論家で劇作家でもあった島村抱月が主宰する劇団、須磨子が演じる主人公エレーナは恋人の死に際して、ベネチアでゴンドラに乗りながらこの歌を歌います。 『その前夜』は演劇評論家からあまり高い評価を得ませんでしたが、一般大衆に「ゴンドラの唄」は受け入れられ、レコードや楽譜が発売されました。 藝術座は前年にトルストイ作『復活』のなかで、「カチューシャの唄」を松井須磨子に歌わせて2万枚ものレコードを売り上げています。 「ゴンドラの唄」は藝術座にとって、2作目のヒット曲となったのです。 まずは当時の美白化粧水、ホーカー液の新聞広告に『その前夜』の協賛記事が掲載されます。 ライオン歯磨きは「ゴンドラの唄」をキャッチコピーにした新聞広告を作成しました。 「ライオン水歯磨を使った口で、ゴンドラの唄をお歌ひなさい。 ライオン水歯磨きは清い歌声を、ゴンドラの唄に与へます」 また当時、急速に普及したSPレコードもヒットの一助となっています。 「カチューシャの唄」は地方公演の前に文芸講座を開催し、松井須磨子の歌声をレコードで聴かせていました。 すると公演で歌う須磨子に、観客は親近感を非常に持ったそうです。 『その前夜』で文芸講座の開催を行った記録は残っていませんが、レコードの普及が「ゴンドラの唄」にも多くの恩恵を与えていることは、容易に想像できます。 耳に心地よい 言葉のリズム プロモーションを強化しても、人の心を掴まなければ、曲はヒットしません。 まずは、「ゴンドラの唄」の歌詞に注目しましょう。 いのち短し 恋せよ少女 赤き唇 あせぬ間に 声に出してみると心地よいリズムを感じませんか? すべてを平仮名にして、文字数を数えてみます。 いのちみじかし こいせよおとめ あかきくちびる あせぬまに 7文字・7文字・7文字・5文字 となっています。 歌詞が七・七・七・五は日本の俗曲、「都々逸」と同じ法則になっています。 かつて日本でヒットした歌謡曲にも、七・七・七・五は数多くあります。 美空ひばりの「東京キッド」 歌も楽しや 東京キッド いきでおしゃれで ほがらかで 舟木一夫の「高校三年生」 赤い夕陽が 校舎をそめて ニレの木陰に 弾む声 一方で歌詞には、恋愛を謳歌する新しい思想が込められています。 新しい時代を象徴しつつも、日本古来の心地よさも感じられる、そんな絶妙な詩なのです。 日本人には難解だった ワルツ調のメロディ 「ゴンドラの唄」を作曲した中山晋平は、「シャボン玉」や「證城寺の狸囃子」など多くの童謡や、「東京音頭」などの歌謡曲を作曲した人物です。 島村抱月の書生だった縁から「カチューシャの唄」を作曲して大ヒット、「ゴンドラの唄」の作曲を指名されました。 母の死の直後、悲しみに暮れる汽車の中で、メロディが浮かんだと言われています。 ワルツ調の8分の6拍子は、当時の日本人には馴染みにくい拍子でした。 8分の6拍子で作曲したことなどについて、中山晋平は「失敗だった」と後に語っています。 誰でも口ずさめるメロディでないことを、失敗と捉えたのかもしれません。 しかし、大正時代はカフェも増え、人々が西洋的な文化に酔っていた時代です。 「ゴンドラの唄」が発表された2年後、大正6年(1917年)頃から大流行する浅草オペラでも、「ゴンドラの唄」は歌われていました。 大正ロマンを謳歌する人の心を確実に掴んでいたのは、明らかです。 現代まで歌い継がれる「ゴンドラの唄」 「ゴンドラの唄」を復活させて不朽の名曲と知らしめたのは、昭和27年(1952年)に黒澤明監督が発表した『生きる』ではないかと言われています。 胃がんに冒された主人公が歌う「ゴンドラの唄」は、「いのち短し 恋せよ少女」という詩に、生きることの意味を投影させました。 主人公を演じた志村喬は、黒澤監督の『七人の侍』と『生きる』で、世界の名優として知られることになりました。 「ゴンドラの唄」をCDやレコードで発表した歌手は、今では100組をゆうに超えています。 田端義夫や美空ひばりなど伝説的な人物や、ちあきなおみ、森昌子といった歌謡界の中心人物だけでなく、桑田佳祐(ライヴで披露)や、サニーデイ・サービス、HALCALIなどにも歌い継がれています。 HALCALI に至っては、ライオンの歯磨き粉のTVCMに使用され、商品と楽曲が時代を越えて再会しました。 TVでは森繁久彌は昭和40年(1965年)の第16回紅白歌合戦で、由紀さおり・安田祥子は平成10年(1998年)の第49回 紅白歌合戦で披露しています。 また、NHK連続テレビドラマ小説『マッサン』のヒロイン、シャーロット・ケイト・フォックスも、2015年にカヴァーを発表しました。 「ゴンドラの唄」シャーロット・ケイト・フォックス 映画やTV、CDやレコードなど、様々な面から私たちの耳に届く「ゴンドラの唄」ですが、言葉のリズムの心地良さに変わりません。 そして、8分6拍子のメロディは、現代の私たちが聴くと、大正ロマンを彷彿とさせるセピア色の美しい風景を描いてくれます。 「ゴンドラの唄」からは、当時のロマンチックな雰囲気や、現代にも通じる恋愛や生きることの素晴らしさを感じ取れます。 だから、今でも愛され、歌い継がれているのでしょう。 jasrac. nntt. jac. pdf 『「いのち短し、恋せよ、少女」の誕生と変容 甦る『ゴンドラの唄』』 (相澤直樹著/新曜社 2012年) 『近代日本流行歌の父 中山晋平伝』 (菊池清麿著/郷土出版社 2007年).

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