般若 心 経 効果。 般若経

般若心経を唱える

般若 心 経 効果

七田眞(私は怪しいと思っているのですが)の本に次のような事が書かれていました。 般若心経のような真言を繰り返して唱えることによって、左脳の働きが弱められ右脳が働きだす。 右脳は潜在能力が眠っている脳の奥の部分に繋がっている >>>>>これは、明らかに間違いです。 科学的根拠は、ありません。 ただ、繰り返して唱えることによって、左脳の働きが弱められ右脳が働きだす。 という部分のみ、真実が隠されています。 つまり、本を、眼だけで読むのでなく、指で示し、声を出し、口をもごもご動かして、と言う、体で、脳への刺激を高める記憶法の臨床結果は、ピアジェほか、多くの学者が論文を書いておられます。 七田式教材が、何十万で売られる前、全く流行っていないとき、七田式の講演会の席で、質問しましたが、結局、お答えしていただけなかった経緯は、あります。 ですが、般若心経を唱えることが、全く効果が無いかというと、オンやリズムに、脳に効果のあることは、含まれているようですし、繰り返し読む、諷誦するというのですが、これも、心理的効果は、発見されています。 つまり、お経を読むことで、人間に良い効果は、出るのですが、それを利用して、自己の販売する教材のねたにしたり、科学的根拠の無い説明をするのは、どうかと思われます。 潜在能力が引き出されるんでしょうか? >>>>引き出されません。 が、それを上手に使うことで、引き出すきっかけには、出来そうです。 つまり、ただ、心経を読んだ=能力が上がるではなく、 読経をそら暗記していると、読経しながら、別なことを考えながら、頭の整理が出来、声を出したり、鐘を打ったり、木魚を叩いて、適当に運動しながら、正座して、脊髄や延髄に適度の刺激を与えている状態は、健康的では、ありますが。。。 ですから、漢文は、韻を踏むといって、音楽的要素がありますので、そのような、歌を歌っても同じ効果があると想像できます。 音響的に検証してみると、いいですね。 なお、仏教での学期は、オクターブ毎に、良い音色になっている場合が、オシロスコープでは、発見できています。 ただし、安物の仏具は、別ですが。。。。 自信はありません。 単純な計算や音読が脳力を高めると言われています。 般若心経を唱えることは同じようなかもしれないと私は思っています。 七田眞(私は怪しいと思っているのですが)の本に次のような事が書かれていました。 般若心経のような真言を繰り返して唱えることによって、左脳の働きが弱められ右脳が働きだす。 右脳は潜在能力が眠っている脳の奥の部分に繋がっている 池口恵観という坊さんがいます。 巨人の清原は彼のお寺で何日間が修行をしてそうです。 この坊さんによれば、般若心経のような真言を唱えることによって自分の周りを光に包まれ良いことが起こるそうです。 この坊さんの本である「般若心経エクササイズ」には般若心経など収録されたCDが付いています。 アマゾンなどでチェックされてみたらいかがでしょうか? 私はCDと逢わせて般若心経を唱えるとスッキリした気分になります。 また、音楽としても立派なものだと思いました。 ダラダラした文章になってしまいまして、申し訳ありません 物理的証明ではないのですが、 霊・魂には、特定言語がないとテレビで見た記憶があります。 それが事実として考えるならば、魂・霊に直接意味を語りかけることになるのではないでしょうか? お経というのは、教えだと思いこんでいます。 これが事実なら、毎日教えを聞くことにより、脳や心で理解するのではなく、魂が理解しそれが心に行き、脳に行くかもしれません。 人は、意識しなくてもできるようになる、つまり、無意識の状態でできるようになるには、長い時間がかかります。 通常は意識を習慣化して数日から数ヶ月かけて無意識にしていきます。 それを魂を通してするわけです。 僕は「体相」と言葉を勝手作りました、この「体相」というのは人相や手相、歩き方や作法のことです。 これは、心理、考え方などが影響してなっていると思います。 気持ちを引き締めてがんばろうと思って歩けば自然に背筋が延びますから。 つまり、魂から聞いて心に伝わり、無意識にできるようになれば、自然と人相や手相、歩き方や作法が変ります。 それにより、健康になったり、人から好感を持たれる人相になり幸せになるのではないかなと思っています。 まあ、人の行動はその人の人生や考え方、信念、信条を表すものですから。 宇宙の法則が解明されるまで確定的なことはわからないですよね。 ここに書いている人のほとんどが、仏教信者ではないにしても、仏教文化圏の人であったりして、基本的に仏教に対して何かありがたいもの、すごいもの、いいもの、という前提や感覚があると思うのです。 信じてないとか言いつつね。 文化的なすり込みです。 もし、キリスト教の坊さんが、般若心経を暗唱なり音読なりしてみて、聖書より効果があったのであれば、般若心経自体になにやら不思議な効果があるとは言えると思います。 でも、たぶんそんなことはないでしょうね。 聖書に親しんだ人は聖書を読んだ方が、効果はあるでしょうね。 あるのは、結局、聖書に対する信仰や、般若心経に対する信仰というように、信じる側の信仰だと思います。 そういう信仰があるということです。 ただし、断っておきたいのは、「効果がない」とは言ってないことなんですね。 信じる気持ちが、健康効果を起こすことは当たり前にありますし、声を出すことは基本的に清々しいのです。 右脳効果もあると思います。 それに、教えの内容に感動している場合は、心に染みつくという効果はあるのです。 というより、本来、宗教で用いる聖なる文言は、教えを心に染みつかせるため(あるいは神や仏と常に近づくために)に、何度も唱えるものです。 たとえば、毎日、「世界中の人間が滅びることを願います。 恨みある人のことを、私は決して忘れない」と言い続ければ、忘れません。 実際、こうやって、毎日うらみを繰り返して言うこと(言わせること)で、何十年もあとで復讐した王様は、インドにも中国にもいます。 日本にもいそうです。 普通の人は、恨みの心が薄れて忘れてしまいます。 深く心に刻んだのです。 反対に、良い心、善の心を染みつかせることも可能です。 それを利用したのが、もともと宗教で、聖書を繰り返し読んだり、お経の言葉を繰り返して唱えることだったのです。 「みんなが幸せに。 神のご加護がありますように」と。 毎日唱えていれば、心がそちらに向かいますよね。 これも心にふかく刻むうちに、その人の心が宗教的に理想とされる人物に近づくというわけです。 潜在能力が引き出されるとかではありません。 右脳に関係があるとか、そんな感じのものでもありません。 そもそも、お経は仏教の教えを忘れないためにできたものです。 約2500年前、ゴータマシッダルタという人がこの世のすべての苦しみから人々を救いたいと発心して、成立した教えが仏教です。 人々は彼に真理を教えてもらっていました。 でも、彼も一人の人間なんで死んでしまった。 つまり、真理を教えてくれる人がいなくなった。 でも、たくさんの人々に説いてきた教えは、それを聴いてきた人びとの記憶の中には残っている。 彼は死んでしまったけれど、教えは残った。 それで、彼が死んでしまったあと、忘れないために皆で集まって、自分はこう聴いた私はこう聴いた聴いた・・・・ って言いあって、それを皆で暗唱して・・・ できたのが、お経でした。 だから、お経って何種類もある。 その一つとして般若心経があります。 これは、初めてお経ができたときより、だいぶ時間が経ってから、リュウジュって人につくられたのものです。 般若心経で初めて「空」という概念が表現されたんです。 そして、これが、まさに仏教の真髄を説いています。 余談ですけど、それで多くの人に読まれたから、今みんなが知っているのかもしれないと私は思ってます。 だから、お経は効果をえるためによんでいるのではなくて、教えを忘れずにしっかり生きていくためによんでいるんですょ。 般若心経だけでなく、十句観音経も不思議なパワーがあるといわれてます。 まあ、神秘的なこと(真言・陀羅尼)は解りませんが、声を出す(呼気)ということは副交感神経が優位に働きますので、そうすると右脳が活性化するんだと想います。 それに読経するときは、大抵の人が姿勢を正して読経しますので、普段、姿勢の悪い人だったら血行が良くなりますし、発声で横隔膜を使うことで内臓のマッサージにもなるでしょうし、血流促進になって全身の血行がよくなり血液サラサラ効果もあると想います。 それでも気が散漫な状態で読経しても何の効果もなく、気持ちを集中することが大切なんだと想います。 そうすることにより変性意識状態(禅定)といわれる状態に入りますので、とても気持ちよくなると想います。 それどころか最初期の仏教では呪文や祈祷、占いの類はしませんでしたので、今、お釈迦さまが生きていて、お釈迦さまの前で般若心経にあるような真言(陀羅尼)を唱えたら、即、破門にされるかも知れません。 または般若心経を破り捨てるかも知れないと想います。 これは後に誕生した「大乗仏教」という仏教の経典なんです。 邪悪なことを排除できる般若心経なのですが,それを毎日拝んで仕事にしている住職に,結婚詐欺をされお金をだましとられました. 妻帯者なのに長年にわたり私たち家族をだまし,子供も二回もおろさせられ,お金をむしりとった坊主もいます. こういったことを書くのはどうかとも思いましたが,般若心経を唱えても,唱える人間が人を殺すこともどうってことないと考えている人間なら何の効果ももたらさないと思います. 聖職と日本で言われている坊主でさえ,この始末なのですから. 少しはなしが脱線しましたが,あなたが般若心経の意味を少しでも理解して(理解しようとする気持ち)唱えることの良さが少しでもわかってくるようなら,きっと潜在能力とか右脳とか関係なしに何かがわかると思います.抽象的でごめんなさい.こればかりは,本当にその人がおかれている環境や気持ちによるので,数学のように答えがはっきりしているものではありません. 私は亡くなった祖母と一緒に毎日意味もわからす3歳のころから唱えていましたが,30歳にして私なりに般若心経を唱える良さを感じています. 全ては唱えるあなた自身の状態(精神),気持ちだと思います. Q 般若心経は一般の方が唱えることはお控えください。 というのも、般若心経の霊力は亡くなった霊には無条件で大慈大悲を与える功徳があります。 これはこの般若心経の言霊(ことたま=言葉そのものが霊力を持っている)が霊にとっては非常に暖かく明るい光明に見えるのでどんな霊も唱えている人のところへ集まってきます。 どんな霊もくるので必ずしもいい霊ばかりとは限りません。 般若心経は他の真言と合わせて使わないと無防備で非常に危険なのです 単に般若心経を唱えれば質問者さんにはまったく関係のないその辺にいる霊がどんどんやってきてしまいます。 あまりいい死に方をせずに成仏しないで浮遊している霊達が「もっと唱えてくれ~」と次から次へとやってくるのです。 唱えるのをやめても霊達はまた般若心経を聞きたくてその場にとどまってしまいます。 ですから一般の方が般若心経を唱えるのは本当は怖いことなのです。 防御系に強い菩薩の真言を奏上してその後内観という心の内を澄み切った愛情で満たしたうえでかくなる方法にて般若心経を唱えなくては霊にとってはまったく意味がございません。 逆に霊を迷わす原因となります。 上のような文章をみて、どうしたらいいかこまっています。 まったくの素人です。 般若心経をとなえてしまいました。 しかも実家は浄土真宗なのに。。 きいているあいだ、なんだか体がぐらぐらしました。 パソコンから、お坊さんがとなえたものも、聞いました。 どうしたらいいでしょうか。 こわいです。 心を落ち着かせるために、写経をしようとおもっていたのですが、やめたほうがいいでしょうか。。 アドバイスください。 般若心経は邪を払ってくれると聞いたのですが、悪い霊をよびよせないで、安全な唱え方などはないですか。 般若心経は一般の方が唱えることはお控えください。 というのも、般若心経の霊力は亡くなった霊には無条件で大慈大悲を与える功徳があります。 これはこの般若心経の言霊(ことたま=言葉そのものが霊力を持っている)が霊にとっては非常に暖かく明るい光明に見えるのでどんな霊も唱えている人のところへ集まってきます。 どんな霊もくるので必ずしもいい霊ばかりとは限りません。 般若心経は他の真言と合わせて使わないと無防備で非常に危険なのです 単に般若心経を唱えれば質問者さんにはまったく関係のないその... A ベストアンサー こんばんは 仏さま、菩薩さま、如来さま・・・いろいろ言いますが仏教は基本的に衆生救済です。 地獄に落ちるところを救って頂いて極楽浄土に迎えてくれる。 あるいは末世・末法の世に現れて、人々を救う。 というのが基本的な性格です。 現世利益を求めるのならば、八百万の神々ですね。 五穀豊穣・商売繁盛の宇迦ノ御霊神(お稲荷さん)とか縁結びのお伊勢さんとか、こちらは人々の欲望にダイレクトに応じてくれます もっとも神仏混淆が長かった歴史もあり、お寺さんでも現世利益に応じているところも多々あります。 ともかく仏格は垂迹が多く、宗派も多岐にわたり、また由緒や縁起に応じて変幻自在なところがありますね 正直言って「お寺によって、仏様のご利益は違う」くらいに様々です (観音様も「千手観音」・「馬頭観音」・「慈母観音」、はては「マリア観音」なんて観音様までいらっしゃいます) そういった現世利益的な意味合いでいえば観音様は「あらゆる衆生を救い、あらゆる願いをかなえる、」オールラウンドプレイヤーと言ってもいいかもしれません なにしろ、マリア様に変身して隠れキリシタンまでお救いになった方です。 こんばんは 仏さま、菩薩さま、如来さま・・・いろいろ言いますが仏教は基本的に衆生救済です。 地獄に落ちるところを救って頂いて極楽浄土に迎えてくれる。 あるいは末世・末法の世に現れて、人々を救う。 というのが基本的な性格です。 現世利益を求めるのならば、八百万の神々ですね。 五穀豊穣・商売繁盛の宇迦ノ御霊神(お稲荷さん)とか縁結びのお伊勢さんとか、こちらは人々の欲望にダイレクトに応じてくれます もっとも神仏混淆が長かった歴史もあり、お寺さんでも現世利益に応じているところも多々あ... A ベストアンサー こんにちは。。 仏事関連の仕事をしています。 御写経をお寺さんに奉納される予定であれば、そのお寺さんにお尋ねになるのが一番確実でよいと思います。 (お寺さんによっては、お勤めの際に願文を読み上げて祈願されるところもありますし。 ) お寺さんへ上がらせていただいたり、御祈願中心のお寺へ行ったりしますと、見るともなしに目に入るのですが、御写経や添護摩木の願文で、お名前+願文の形も普通に見受けますね。 四文字でない平文の願文もよく見ますし・・・ 上記は自分の見聞きした範囲の事柄ですので、本当に良いか悪いかはわからないですが・・・ 「お願い事」も立派な個人情報ですから、お寺さんによってはいろいろと気を遣われているところもあります。 ただ、奉納の多いお寺さんだと、人目につくところに奉安されている場合もまだまだありますから、むしろそちらの方が気になりましたが。 お寺さんに手渡しする場合や、奉納しない場合は、そこまで考えることはないかな、と思います。 ご参考になればよいのですが。 その修行方法が仏教でも行われ、念誦(ねんじゅ:真言を唱えるという瞑想法)や口称念仏(くしょうねんぶつ:仏の名を唱えるという念仏行)の際に用いられたのが仏教全体に及び、現在では仏教徒のシンボルのように用いられています。 数珠の作製法を説く経典(『念珠功徳経』『木槵子経』など)には108珠のものを最上として、その数は百八煩悩を表すと同時に、百八の仏を表し、煩悩多き身も修行を行えば仏と等しいという教えを、半分の54珠は修行による54の心の段階(五十四位)を、そのほか1080・42・27・21・14の珠の数もそれぞれ意味が含まれています。 素材も菩提樹の実を最上として、木・珊瑚・水晶・貴石など流儀によりその製法も異なります。 さて長々と書きましたが、本来、数珠は前述のごとく念誦・念仏の際に数を計る法具でしたが、現在ではその意義が忘れられて、お守りのように用いられています。 もちろんそれが悪いとはいいませんが、その本義が忘れられたままだと、「霊が依ってくる」などという、愚にもつかない迷信や珍説がはびこる一因でもあります。 ある老僧は、「初心の者は高価な数珠を持たず、梅や榧(かや)のものを用いる方がよい。 まずは虚栄心や自堕落な心を戒めるためだから」と言われました。 数珠の本義を忘れてしまえば、例えその形が「数珠」の形をしていても、それでは単なるブレスレットかアクセサリーの類でしかありません。 その修行方法が仏教でも行われ、念誦(ねんじゅ:真言を唱えるという瞑想法)や口称念仏(くしょうねんぶつ:仏の名を唱えるという念仏行)の際に用いられたのが仏教全体に及び、現在では仏教徒のシンボルのように...

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般若心経を唱える効果 : 先日質問をさせてもらい、丁寧なアドバイスありがとうご

般若 心 経 効果

般若心経を唱える効用 写経以外に読経というものがあります。 読経とは読んで字のごとく、お経を読む(唱える)という意味です。 何度も唱え、その唱えた声を自分の耳で聞くことで、さまざまな効用があると言われています。 心身を落ち着かせる・自我や愚かさを消す・迷いの心をなくす お経を唱えることで、自然にお経に書かれた意味が理解できるようになります。 また一心にお経を唱えていると、仏さまが説いてくださっているような気持ちになるものです。 このような境地になるには、一心に唱え、口で声を出して唱え、心でもお経を念じるようにします。 雑念を生じないようにするのです。 右脳の働きを促進する 般若心経を暗唱することが脳、とりわけ右脳によい効果を生むといわれています。 そもそも暗唱訓練は右脳記憶を育てるといわれており、繰り返しで何かを覚えて唱えるのが右脳の働きを促進します。 記憶力を高めると、基本的な知性も高まりますので、相乗効果で脳によい影響を与えます。 具体的には、般若心経を覚えて毎日100回唱えるのがよいそうです。 よかったら試してみてください。 いずれにしても心経の読経が、自分を幸せにし、他の人にもよい影響を与えるのは間違いありません。 般若心経を唱える作法 般若心経を唱えることは、自身の心の平静を保つばかりでなく、他人の幸せをも合わせて祈ることになります。 ここでは、その際の作法などをご紹介いたします。 般若心経を唱える前にすること なるべく手を洗い、口をすすぎ、衣服を整えることで心身を清浄にすることが望ましいです。 般若心経を唱える場所 お仏壇の前か、ご自身の部屋など、心の落ち着く場所がよいでしょう。 般若心経を唱えるとき 毎日一定の時間にするのがよいでしょう 毎日、早朝と夕方の2回行うことが望ましいでしょう。 朝は起床して洗顔後、夜は就寝前の心が落ち着くとき 般若心経を唱える姿勢 正座、またはイスに座って。 姿勢を正し、両手を胸の高さで合掌して唱えます。 先程記したように、般若心経は暗唱した方が右脳にはよいですが、経本を読まれる場合は合掌した親指と人差指にはさんで持ちます。 数珠を使われる場合は、輪の中に両手を入れ、房を下に垂らしてもつようにします。

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般若心経とは|全文の意味が分かると面白い!般若心経の現代語訳と意味解説

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仏説・摩訶般若波羅蜜多心経 ぶっせつまかはんにゃはらみったしんぎょう 観自在菩薩行深般若波羅蜜多時 かんじざいぼさつぎょうじんはんにゃはらみったじ 照見五蘊皆空 しょうけんごうんかいくう 度一切苦厄 どいっさいくやく 舎利子。 しゃりし 色不異空、空不異色、色即是空、空即是色。 しきふいくう くうふいしき しきそくぜくう くうそくぜしき 受・想・行・識・亦復如是。 じゅそうぎょうしきやくぶにょぜ 舎利子。 しゃりし 是諸法空相、不生不滅、不垢不浄、不増不減。 ぜしょほうくうそう、ふしょうふめつ、ふくふじょう、ふぞうふげん 是故空中、無色、無受・想・行・識、 ぜこくうちゅう、むしき、むじゅそうぎょうしき 無眼・耳・鼻・舌・身・意、 むげんにびぜっしんに 無色・声・香・味・触・法。 むしきしょうこうみそくほう 無眼界、乃至、無意識界。 むげんかい、ないし、むいしきかい 無無明・亦無無明尽、乃至、無老死、亦無老死尽。 むむみょう、やくむむみょうじん、ないし、むろうし、やくむろうしじん 無苦・集・滅・道。 無智、亦無得。 むくしゅうめつどう、むちやくむとく 以無所得故、菩提薩埵、依般若波羅蜜多故、 いむしょとっこ、ぼだいさった、えはんにゃはらみったこ 心無罣礙、無罣礙故、無有恐怖 しんむけげ、むけげこ、むうくふ、 遠離・一切・顛倒夢想、究竟涅槃。 おんりいっさい、てんどうむそう、くきょうねはん 三世諸仏、依般若波羅蜜多故、得阿耨多羅三藐三菩提。 さんぜしょうぶつ、えはんにゃはらみったこ、とくあのくたらさんみゃくさんぼだい 故知、般若波羅蜜多、是大神呪、是大明呪、是無上呪、 こち、はんにゃはらみった、ぜだいじんしゅ、ぜだいみょうしゅ、ぜむじょうしゅ 是無等等呪、能除一切苦、真実不虚。 ぜむとうどうしゅ、のうじょいっさいく、しんじつふこ 故説、般若波羅蜜多呪。 こせつ、はんにゃはらみったしゅ 即説呪曰、 そくせつしゅわつ 羯諦羯諦、波羅羯諦、波羅僧羯諦、菩提薩婆訶。 ぎゃていぎゃてい、はらぎゃてい、はらそうぎゃてい、ぼじそわか 般若心経 はんにゃしんぎょう 1300年前に生まれた般若心経ですが、その賞味期限はなく、いつの世でも新しい刺激と安らぎを人々に与え続けています。 現在の日本でも、本屋さんで般若心経の解説本をいくつも見かけますし、流行りの朝活でチョイスされることも多いお写経でも、お題となるお経は般若心経です。 また、般若心経をロックテイストな歌詞にして歌った動画が注目されたこともあります。 生活から仏教が遠退いた今でも、般若心経の魅力は衰えていないのです。 また、深みのある内容が故に読んだ人が受け取る印象も千差万別です。 誰にとっても人生の芯について問いかけてくる般若心経は、たとえ時代が移り変わっても頼られる存在なのかもしれません。 悟れましたか? そうかな……人生も、般若心経も、そんな単純じゃないでしょ…… というお声が聞こえてきそうです。。。 ですよね。。。 その通りです。。。 10秒ではなくちゃんと訳したバージョンもあるよ!を見てね 般若心経は、「悟り」について語っておきながら、肝心の「 HOW」については具体的には教えてくれません。 教えてくれるのは、「悟り」の仕組みとその根拠です。 そして、「 HOW」については、「教えた仕組みを踏まえて各自の方法で頑張ってね!」ということなんだと思います。 そこが一番難しいのに。。。 ということは、10秒の中では端折られてしまった「悟り」の仕組みと根拠について、丁寧に読んでいく必要がありますね。 そして、どんな環境下で、どんな時代背景で、般若心経が生まれ、必要とされてきたのかについて考えてみることで、もう少し深めて理解できるのではないかとも思います。 ですから、まずは般若心経が生まれたときのことについて少しお話して、それから中身を丁寧に読み解いていきたいと思います。 般若心経の歴史・誕生の経緯 般若心経とはいったい誰が生み出した言葉なのでしょうか。 昔々、唐の国(7~10世紀の中国)に陳褘というお坊さんがいました。 今では戒名の「 玄奘 げんしょう 」と呼ばれていますが、「 三蔵法師 さんぞうほうし 」という名前の方がより親しまれています。 『 西遊記』の主人公ですね。 三蔵法師は、西遊記ではインドまで個性的なお供と一緒に旅をする冒険記のように描かれますが、彼の実際のお仕事は「訳経僧」、つまり仏教のオリジナルのお経をインドの昔の言葉であるサンスクリット語から漢訳するというものでした。 三蔵法師は非常に優れた訳経僧として名を馳せ、「訳聖」と称されるほど敬われるお坊さんです。 彼はお経の翻訳のみならず、西遊記のモデルにもなったように自らインドに出向いて仏教を学ぶ素晴らしい研究家でもありました。 そのようなストイックに突き詰めた姿勢が実を結び、それまでの翻訳されたお経の誤りを訂正し、正しい仏教思想を唐に持ち帰ることができたのです。 そして、彼が唐に持ち帰った 657部のお経の中にあり、中心的な位置を占めた 「 般若経」を 漢訳し、さらにそのエッセンスを取り出して300字足らずに凝縮したものが、般若心経なのです。 般若心経の素となった般若経とは、「般若波羅蜜」について説かれた膨大なお経の総称です。 「 般若」とは、仏教において迷い多きこの世界(此岸)から、悟りの世界(彼岸)に到達するため、つまり悟りに至るための「智慧」を意味します。 また、「般若波羅蜜」とは、その智慧を得るためにすべきこと。 そして、心経の「心」には、般若波羅蜜の「 核心」を意味するという説と、仏様を奉るための言葉である「心真言」を意味するという説があります。 ですから、般若心経とは、 「 悟りの世界に赴くために必要なことの核心を説くお経」 または、 「 悟りの世界に赴くために必要なことを教えてくださる仏様を奉る言葉の書かれたお経」 ということになるでしょう。 ちなみに、「般若」と聞くと、角の生えた怖い能面を思い出す方もいらっしゃるでしょう。 しかし、あのお面やあの表情を「般若」というわけではありません。 とある説では、般若坊というお坊さんが作ったお面だから、とか、物語の中で般若のお面のモデルになった女性の生霊がお坊さんの読む般若経によって退治されたから、とか…… いずれにしても「悟りに至るための智慧」と般若のお面は、意味の上ではあまり関係はないようです。 皆さんは仏教の考え方は、どのような時代背景から生まれたと思いますか? 死や病、人間関係の不和や階級制度……昔、インドで、お釈迦様は人々が直面する数多くの「苦しみ」をご覧になられました。 科学技術や社会制度が発達した現在では対処の方法がある問題でも、当時はただ指を咥えて苦しみに耐える他はありませんでした。 そんな時に、お釈迦様は数多くの苦しみから「解き放たれる方法」、それも誰もがその気になれば「実践できる方法」を発明するのです。 仏教における空 くう とは その一つが「 空(くう)」という捉え方。 仏教では、「 この世に存在している物事はすべて人が認識しているから存在しているのであって、自分自身の心で思っていること以外に存在するものは何もない」と、衝撃的なことを言うのです。 私たちが生きる今では科学技術や社会制度が発達し、当時の苦しみのうちのいくつかは解消させることができるようになりました。 なぜ天災が起こるのか。 なぜ病気になるのか。 なぜ争いが起きるのか。 そのメカニズムを知ることができます。 しかし、生きることの「苦しみ」が無くなったわけではありません。 「苦しみ」から解き放たれる術を昔の人々より知っている私たちだからこそ、持てる術を駆使しても逃れ難い「苦しみ」にはより臆病になりがちかもしれません。 現代でも般若心経や仏教の思想が人々の琴線に触れるのは、お釈迦様が発明し優秀なお弟子さんたちがまとめ上げた数々の「発明品」がいかにオールマイティーであるかということを示しているのかもしれません。 宗派による般若心経の違いはある? オールマイティーがゆえ、どんな宗派にも愛された般若心経。 今の日本には様々な仏教宗派があります。 皆さんのお家の宗派では、般若心経はお読みになりますか?各宗派の般若心経をざっくりと見渡していきましょう。 こちらにざっくりとまとめてみました。 般若心経の意味を現代語でわかりやすく解説してみる(部分解説編) それでは、般若心経の中身を見ていくことにしましょう。 ただここに書いてしまうととってーーも長くなってしまうので、別のエントリーで分けてご紹介しています。 繰り返しにはなってしまいますが、超ざっくり言うと この世の物事は全部一人ひとりの頭の中であれこれ思うことで存在するので、あれこれ思わなければ全てのものは存在しない。 ということは、いくら生きることが苦しくても、その苦しみも存在しないし、気持ちは平穏そのものなんだ。 それが悟りってもんだよ。 みんな悟ろうぜ。 …です。 しつこい! 完璧に般若心経を理解したい!深いところまで般若心経を理解したい!という人はこちらのエントリーを読んでくださいね。 写経を実践することで 心がすっきりする効果があると老若男女幅広い年代で手軽に写経を行う人が増えています。 般若心経を書き写す写経はもともとインドでお釈迦様のありがたい教えを多くの人に広めようとお釈迦様のお経を書き写していたことから発展していき、日本には奈良時代の頃から仏教の布教とともに盛んに写経が始まってきました。 最初はお寺や仏教の専門家だけによって親しまれてきましたが、次第に貴族や豪族そして江戸時代になると一般大衆にも写経を行う文化が広がっていきました。 現代においては写経セットが市販されたり、日本全国の多く寺院でも写経体験が開催されていたり、身近な存在になってきました。 筆先に全身全霊を注いで、般若心経の文字を一文字一文字丁寧に書いていくことで般若心経を書き写すことで精神修行をすることができます。 で詳しく書いていますのでご参考ください。 般若心経を読む時はできるだけ声を整えて読もう! 般若心経はお経を唱えることこそが大事なことであって読み上げる声はなんでも大丈夫!ただそれはその通りなのですが、どんな声でもいいかといえば、そうでもありません。 お経を読むのに、嘆き悲しむような声や、調子はずれの声、弱々しくか細い声、怒ったり叫んだりするような声は、ふさわしくないとされています。 もっともなことです。 背筋を伸ばし、首や肩の力を抜いて、喉を開くようにして声を整え、適度な大きさで読んでみましょう。 そして、できればお腹に力を入れてください。 お経を唱える時になぜ木魚を叩く? 般若心経に限らず、お坊さんがお経を唱えているときには、木魚を叩いている姿をイメージする人も多いと思います。 なぜ木魚や鐘、太鼓などをたたいてお唱えするのでしょうか? お坊さんもはじめは師匠の後について少しずつ唱えながら、全文を覚えるということをしています。 その際に弟子となる僧侶は大勢で唱えますから、リズムをとる打ち物の音が入ると、そろいやすいということがあります。 打ち物とは、今でいう打楽器のことです。 とくに般若心経は、祈祷のための読経や修験道では、大太鼓などをドンドンと叩きながら唱えるということがよく行われます。 修験道とは山にこもって修行し、霊験(ご利益)を得る日本独特の宗教のこと。 現代の祈祷では、たとえばスポーツ選手の滝修行や護摩行などがわかりやすい例かもしれませんね。 護摩行の火を前に祈祷師、煩悩を焼き払おうとつとめる行などのことです。 現代の般若心経カルチャー You Tube動画ライブラリ 現在では様々な解釈で般若心経が描かれています。 般若心経をひとつの歌詞として捉え、様々なクリエイターたちが般若心経を楽しんでいます。 youtubeにアップされた動画から厳選して面白いなと思ったものをご紹介したいと思います。 【MV】般若心経 cho ver. 動画も京都・天龍寺で撮影され、静寂の中に響き渡る般若心経の唱えるお坊さんであるボーカルと、それにあわせてコンテンポラリーダンスを踊るダンサーさんがまたすばらしく、般若心経っていいなぁと思わせてくれる映像です。 万人におすすめ。 さいごに とても長くなってしまいましたが、般若心経の現代日本語訳を試みてきました。 たった300字足らずの原文ですが、そこには仏教が積み上げてきた数多くの知識が盛りだくさんで、読み解こうとこんなに紙幅を要してしまうのですね。 私自身も改めてしっかりと読み直してみて、三蔵法師が心の底から、人々のために仏教の良い所を余すことなく伝えたかったんだなと実感することができました。 般若心経は、読む人によって、その読み解き方や感じ取るもの、そして活かし方が十人十色であることが、良いところなんじゃないかなと、勝手ながら思います。 みんな、それぞれ置かれている時間や場所や状況が異なります。 学んできたことも、糧にしてきたこともそれぞれ異なります。 でも、みんな大なり小なり悩み、不安に陥り、立ち止まります。 そんな時に般若心経に触れてみて、いつでも自由な学びが得られること、それが、このお経が1300年に渡って人々に寄り添い続けてこられた所以なのかもしれません。 あなたは、どんな「般若心経」を読みましたか。

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